「私は一尾と申します。季喬様の遣いにございます」
ゆっくりとお辞儀をした。
椿もつられるようにお辞儀をするが、弓月は頭を下げずに一尾をじっと見ていた。
左肩には青い人魂も姿を現している。
「そうか、よろしく頼む。季喬様の遣いである一尾殿が居るという事は我らがここに来る事はお見通しじゃったかな?」
「当然にございます。千里眼……弓月様ならばご存知でございましょう。貴女方が平穏京を目指している道すがらからご覧になられていました。道中、座敷童子の宿屋をお助けになられたと聞き及んでおります」
「そうでじゃったか……いや、わかりきった事を聞いてすまなかった。であれば、これも聞き及んでおりそうじゃな」
ここまでの道のりを抱えるように持っていた一つの包みを差し出した。
すると、待っていましたと言い示すように一尾は弓月へと足早に近づいてきた。
「はい、存じ上げております。季喬様もそれには大層喜んでおられました。受け取らせて頂きます」
包みを受け取ろうと手を出したが、弓月は包みを引っ込めた。
一尾は虚をつかれたのか、少し間抜けな顔で弓月を見た。
「その前にさっきから我らの事を見ておる奴を呼んでくれるかの? 挨拶もなく、覗き見られるのは季喬様以外は許せぬのでな」
「……受け取った後にご紹介しようと考えていたのですが、別に構いませんね」
一拍、二拍。
三拍目に一尾の右側後ろに煙玉が弾け、黒ずくめの忍者が現れた。
片膝をつけて、頭も下げている。
弓月は驚いてはいないが、椿は煙玉が弾けた時に体をびくりと跳ねさせた。
忍者の姿が見えた時には弓月に身を寄せて、着物を掴んでいた。
忍者は何も言わず、ただ頭を下げているだけである。
「こちら、伊竹でございます。季喬様と私達に仕えている忍者の総元締。此度、失礼ながら御三方を試すために目の届かぬ所で待機させていたのでございます」
「なるほどの、それは事を急かすような事を言ってしまいすまんの」
下げた包みをまた前に突き出した。
「いえ、最初から私の傍に置いておけばよかったのです。失礼致しました」
包みを受け取った一尾が頭を下げると後ろの伊竹も頭をさらに下げた。
「いや、もしかすると、曲者ではないかと思ったのじゃ。なにせ、我が政元という村長の家の屋根裏でこそこそとしておるネズミが居ったからな」
チラリと伊竹を見てから続けた。
「それにここは政が盛んに行われておる平穏京のすぐ近くじゃ。我らの足取りをつける奴はそうはいないにしても、季喬様の動向を知りたいと影で動いておる奴もおるかもしれんのでな。しかし、仕えておる者で安心した。こちらも疑うような事をしてすまなかった」
弓月が頭を下げると、遅れながらに椿も頭を下げた。
頭を上げると一尾は首を振っていた。
「御三方は危ない旅をしている身。警戒心が強い事に悪い事などありはしません。それにこれは季喬様と私達からの試練でもあったのですからお気になさらず」
「試練?」
椿が聞き間違いでもしたのかを確認するかのように呟いた。
弓月は少し気を取り直して、一尾を見据えた。
「はい。これより御三方には九ノ峰山に登って頂きます。その道中にある九つの社にもう一つの包みにある稲荷寿司をお供えください。そうする事でやっと季喬様に御面通りできます」
ただし、と穏やかな声色に強い語気を孕んでいた。
「その道中では、伊竹の傘下である忍が待ち受けています。お供えするのを邪魔するために攻撃をしてくるでしょう。その攻撃を掻い潜りながらお供えをしてください。命の取り合い。とまではいきませんが、下手をすれば命を落とすかもしれません」
一呼吸入れ。
弓月、椿、蒼へと視線を送る。
「御覚悟をして頂けますようお願い申し上げます」
椿は着物を握り込む力を強めて、震えているのを感じていた。
旅を出てから椿には慣れぬことばかり。
旅をする中でも危ない場面はあろうが、こうして明確に命を落とすかもしれないとなれば、無理からぬことであった。
弓月はそんな椿の頭の上に手を置いた。
「何度も言っておるが、我らが居る。蒼でも心配ないが、我が一緒の時は安心しておけ」
「は、はい」
前を見据えて、囁かれた声は優しいものだった。
その声を聞いて椿は怯えながらも。
しっかりしなきゃ、と着物をさらに強く握った。
そのおかげで震えが止まり、俯いていた視線も前を向けた。
「よしよし、良い子じゃ。ついでに言うておくと、この着物は毛を変化させておるものじゃ。そんなに握られると引っ張られて、ちと痛いからほどほどに頼む」
「え!? そ、そうだったんですね! き、気をつけます!」
「触る分には良いから不安な時は軽くの」
「はい〜」
一尾は二人のやりとりを見て、少し微笑ましく思っていた。
あ、と思い出したように手を打った。
「そういえば、今回の試練は蒼様の力量を測りたいので入れ替わって頂いて宜しいですか?」
「構わんが……我の力量は見ずとも良いのか? 身体は蒼頼りで妖力も格段に減っとるんじゃが?」
「弓月様に関しては、やむなき事情が多いですが、あの大乱を……魂だけになってからの三百年もの間生きのびていることこそが証明になるでしょう。季喬様が憂いているのはその依代になっている蒼様。御本人様の力量を季喬様自身が見定めたいと仰っていましたので」
「そうか、承知した。椿、ちょっと下がっておれ」
弓月は左肩にいる青い人魂を右手で掬い取ってくると、胸に押し入れた。
すると、身体を包むように風が吹き荒れ、止むとそこには蒼が立っていた。
右肩には黒い人魂が浮かんでいる。
「これでいいか?」
「はい。あとは試練に挑んでもらうだけです」
「その前にちょっといいか?」
一尾は頷いて、それを見てから蒼は椿の正面に行く。
「椿は俺が守るからな」
「は、はい! わ、私も出来る事があったら頑張ります」
蒼は椿に頷いて見せると、次は伊竹を見た。
「忍者の人、あの時は道を教えてくれてありがとう。おかげで無事に椿の茶屋に行けたし、団子とお茶にありつけた」
「……何のことやら、其方と会うのはこれが初めて。礼を言われる事はない」
「そう……か、人違いをして悪かった」
納得いってないように顔を顰めたが、すぐに直して、一尾へと視線を向けた。
「待たせた。始めて大丈夫だ」
「わかりました。では、改めて簡潔に」
咳払いを軽くしてから続けた。
「御三方には九ノ峰山に登って頂き、その稲荷寿司を九つの社にお供えして頂きます。その際に忍びが邪魔をしますのでご注意を。蒼様の力量を試す試練なので、途中で弓月様との入れ替わりや火の妖術は禁止とさせて頂きます。ご不明な事はございますか?」
「弓月の助言もダメだったりするか?」
「そうですね……それも禁止としましょうか」
「わかった。だったら弓月には引っ込んでてもらう」
その言葉に不服だったようで、蒼の顔にぶつかってから消えた。
あと、と頬を撫でながら言った。
「忍に対して、本気でやってもいいのか?」
呑気にそう言っているが、その言葉の含みに一尾は気付いていた。
「構いません。こちらが命を取るつもりでやっているのですからそちらもそのつもりでして頂いて結構です。ただ、ここは神社ですから、壊したり、傷をつけられるとバチが当たる……とお考えください」
「本気は出していいけど、周りをめちゃくちゃにするなって事?」
「そういう事です」
「……わかった。ほどほどに上手くやる」
「ふふふ、ありがとうございます。此方の忍もそれは心得ておりますから条件は同じですよ」
やりにくい所での戦いはお互い様。
加減が難しいのもお互い様。
それなら確かに命を落とす可能性も無きにしも非ずと言った所であった。
「あの、この荷物ってどうすれば?」
「荷物はこちらで預からせてもらいますので必要な物だけお持ちください」
「わ、わかりました」
蒼は手元に持っていた稲荷寿司の包みを持って、他の荷物を何も取らずに一尾の前に置いた。
椿は一尾を背にして、荷物をあれやこれやと漁っていた。
「何か持ってく物でもあるのか?」
「まだ日は上がっていますが、もしかすると試練中にお腹が空くんじゃないかと思って、食べ物とかを」
「確かに。俺も持っていこう」
一尾の目の前に置いた荷物を漁り出し、二人とも必要最低限な荷物を持った。
稲荷寿司の包みを荷袋に入れようとしていると。
「蒼さん、その包みは私が持ちます!」
「いや、俺が持つけど?」
「いいえ! 蒼さんの事ですから間違えて食べちゃうかもしれませんから私が持ちます」
椿は蒼から包みを取ると、他の荷物と一緒に大きめの風呂敷に包んだ。
「いくら何でも間違えないと思うが……」
「いえ、思わず食べてしまいそうな気がするので」
椿は着物の袖を襷掛けしている。
荷物の入った風呂敷を左肩から右脇腹の斜めに括り付けた。
蒼は瓢箪と荷袋を左右の腰に下げ、もちろん、形無も携えている。
二人を見て、一尾は声をかけた。
「準備が宜しければ、これを」
差し出された紙は地図のようで、入り組んだ道が描かれていた。
蒼が広げた地図を後ろから覗き込むように椿も見た。
道の横には矢印が書かれており、行き先を指し示されている。
石畳で整えられた道を進んでいくようである。
「わかると思いますが、道を矢印の方へとお進みください。足元の悪いところもありますのでお気をつけて。社の近くなると鈴の音が響き渡ります。それが試練の開始とお考えください。御武運を」
言い終わると一尾は深々と頭を下げた。
後ろの忍びも軽く頭を下げた。
「よし、行くぞ」
「あ! 蒼さん、こっち! それじゃ、山に登れないです!」
「そ、そっちか」
始まり早々に締め縄も緩むくらいに気の抜けるやり取りをしてしまったが、三人は九ノ峰山の試練に挑む事になりました。
・――・――・
「変化を見破られたみたいやな」
「……面目ございません」
「遅れを取らんようにな」
「御意」
伊竹は返事をすると、すぐに木々の緑へと飛んでいった。
「流石は弓月の子孫、少しは頼れるやもしれん。方向音痴なのは頂けへんのやけどな」
一尾は扇を出して、口元を隠しながら、目だけ笑ってみせた。
先程までの言葉遣いはどこへやら久々の外の空気を堪能するように扇をあおいだ。

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