第二十二話 ノックくらいしたら?

 

『お前はここで隠れていろ』
『お父様!』
『いいか、何があってもここを出ようと考えるんじゃないぞ』

 背後の炎のせいで影が落ち、顔はわからない。
 だが、僕の顔に落ちてきた水滴は、汗じゃなかったはずだ。
 その水滴には確かな暖かさがあったのだから。

『私たちが居なくても立派に生きるのよ。何がなんでも』
『お母様!』

 もう一人の人物に手を伸ばすと、暖かな手が頬を摩り、僕の涙を拭ってくれた。
 柔らかで優しい手、そして、震えていたのを覚えている。

『お父様の言う通り、ここから出ないようにね。保存食が沢山あるし、あなたの大好きな本もいっぱいあるわ。寂しいと思うけど、ここが一番安全だから』
『嫌だ、僕も一緒に!』
『だめだ! まだ力をうまく使えないお前を戦わせる訳にはいかない!』

 怒鳴っているようには感じなかったが、その大声は必死だった。

『この中には我々一族の秘伝の書がある。他にもあらゆる知識の本の原本が保存されている。たくさんの知識を蓄えて生きるんだ。力の使い方もわかるだろう』

 そう言われている最中に、遠くから声が聞こえてきた。
 その声に二人は反応して、慌てるように重い扉を閉め始めた。

『お父様! お母様!』
『ごめんなさい、こうするしかないの……』
『我らが神よ、どうか我が子を御守り下さい』

 そして、二人の影は厚く重い扉のせいで見えなくなった。
 閉まる直前に聞き慣れた声がこう言っていた。

『国王陛下、王妃、殺しに参りましたよ』

ーーーーー

「……」

 よく見る夢。
 小さい頃の記憶と同じで変わり映えもしない。
 あまり思い出したくもない記憶。
 忘れようにも忘れるとこができない。
 部屋の天井をぼんやりと眺めながら、目尻の涙をふいた。
 ベッドで寝る事が当たり前になってからも慣れはしない。
 子供の頃は当たり前であっても、生きてきた間に染みついたものはそう簡単にはぬぐいきれない事にわずらわしさを感じてならない。
 自分が寝返りを打って、ベッドがきしむだけで目が覚める。
 朝になれば、外は人が賑わい始めるから熟睡とはいかない。
 襲われる心配もなく、ベッドで横になれるだけで充分休まる。

「……さて、そろそろ昼過ぎくらいかしらね」

 カーテンからは陽の光が突き抜けて部屋を明るくしている。
 そのカーテンを開けたことで部屋はさらに明るくなった。
 私は長い髪を手櫛で軽く整えながら、ぼんやりと外を眺めた。
 太陽はもう高く昇っている。
 飲み屋街であるここら一帯は平家が多く、屋根ばかりで昼間に大通りを歩く人はまばら。
 夜になれば、騒がしくなるのだから寝ようとせずに働いている方が幾分いくぶんマシだ。

「昼過ぎまで寝ていられるのはありがたいわね」

 前までは朝方でさえ気が抜けなかった。
 こうして、ゆっくりとしていられるのはありがたい。
 相方はいつも通りって感じかしら。
 部屋にいるにも関わらず、壁とドアの向こうからドタバタと音が聞こえてきた。
 私はそれを聞きながら、小さなサイドテーブルの上にある櫛を取った。

「オカマ!! 起きてる!?」
「起きてるわよ……ノックくらいしたら?」

 スズネはサイドテールを揺らしながら無遠慮にドアを勢いよく開けてきた。
 いつもと変わらず、カッターシャツにスカートを身にまとっている。

「だって、寝てるならこの方が目が覚めるでしょ?」
「私くらいになれば、ノックで起きるわよ。なんなら、貴方の物音一つで起きる自信があるわね」
「あっそ。しっかり起きてるならいいや! 早く支度して! もうアタシお腹ぺこぺこだから」
「そんなにお腹空いてるなら先に行きなさいな」
「だめ! こういうのは一緒に食べて、気合い入れないと! アタシ達はパートナーなんだし、足並み揃えないと」
「どの口が言ってるのかしらね」
「なに〜? 何か言った?」
「扉閉めなさいって言ったのよ。見たくないものが見えても知らないわよ」
「あ、ほんとだ。ごめんごめん」
「全く」

 物音でスズネの動きは大体わかるから良いけど、私が着替えてる最中に扉を開けたら、どうなるのだろう

「一回、やってみようかしら……いや、やめた方がいいわね」

 スズネの事だからびっくりしすぎて、ここをハイネのバーごと壊しかねない。
 私はオカマであるせいで、スズネは時々、男である事を忘れる時がある。
 さっきだってそう。
 まぁ、僕にも非があるのだから仕方ない。
 口調や立ち居振る舞いも生きていくために必要だった。
 生死がかかっていたのだから完璧に身につけないといけなかった。
 スズネが忘れちゃうのも無理はない。

「あの子の場合、ほとんどがついうっかりだから。とやかく言っても仕方ないってのが本音よね」

 でも、この長い髪は別。
 オカマを気取るためだけに長いのではない。
 生きていくために必要な事だから。

「これくらいでいいわね」

 解いた髪を撫でた。
 ベッドから降りて、化粧机の鏡を見る。
 髪が跳ねていないかを確認して、見たところ問題はない。
 私はベッドに落ちている自分の長い髪を集めて、化粧机の引き出しに入れる。
 髪を長さごとに分けて入れるのが良い。
 私にとっての切り札なのだからしっかりと管理しないといけない。
 今日も何が起こるかわからない。
 なにせ、私の相方は無駄に元気で、すぐに無茶をするし、無鉄砲で手に負えない。
 弱くないってのが唯一の救いであり、そこもまた欠点とも言えるだろうけれど。

「今日も一応、三本くらいは持っていようかしらね」

 集めていた自分の髪の毛を三本ほど手に取ると、化粧机に置いた。
 魔法杖、財布、依頼書も置いてある。
 引き出しをゆっくりと閉める、中で飛ばないように。
あと、盗られるといけないから魔法で引き出せないように封をしておいた。
 私はパジャマを脱ぎ、ベッドの上に置いた。
 壁掛けハンガーラックに掛けていた服を着る。
 カッターシャツに袖を通し、黒いスーツズボンを履いて、ネクタイを巻き、ベストを羽織り、バンダナを頭に縛った。
 ベルトと一体になっている杖用ホルスターに杖を仕舞い、ズボンの右ポケットに財布。
 ベストの内ポケット。
 左には依頼書を、右には髪の毛三本を忍ばせた。

「さてと」

 私は髪を手でさらりと流してからドアを開けた。
 接待室の無駄に立派な机の上に足を乗せて、ふんぞり返った相方が私の顔を見るなり不機嫌に頬を膨らました。

「遅い! 準備にどれだけ掛かってんの!?」
「そんなに遅くないでしょ? 五分くらいよ」
「五分もでしょ!? もうアタシはお腹が空いてるの!」

 踏ん反り返っていた椅子から降りて、私のところまでズンズンと近づいてきた。

「はいはい。なら、文句言ってないで早く降りましょ。時間が勿体無いわ」
「それこっちのセリフだから!」
「そう言うなら、先に行ってればいいじゃない」
「だから、一緒に食べないとでしょ! パートナー同士なんだから」
「はいはい」

 スズネを先頭に家兼事務所から出て、ハイネの店へと降りていく。
 お腹が空いているせいもあって、スズネは小走りだった。
 そんなに急がなくても良いでしょうに。

「ハイネ! おはよ!」
「うるさい。もう店は開いてるのよ? お客さんの事も考えなさい」
「ごめんなさい、後でよく言っておくから許してちょうだい」
「全く……大人しく座ってなさい。賄い出してあげるから」
「はーい!」
「ほら、騒がないの。お客さんに迷惑でしょ」
「大丈夫だって、みんな優しいから」

 そういうとスズネは、テーブルに座る女性たちに小さく手を振った。
 すると、その女性たちも手を振り返してきていた。
 カフェのお客さんとも仲良くなっているようで、私は呆れ半分、関心半分でため息をついた。
 その後、私はその女性たちに軽くお辞儀をして、スズネの横の席へと座った。
 スズネは人と仲良くなるのが上手い。
 バーの常連はもちろん、初めてのお客ともうまくやり取りをするし、カフェではバイトをしていないにも関わらず、カフェのお客とも仲良くなっている。

「貴方がお気楽のお調子者だから、みんな見てて楽しいのね」
「えへへ、そうかな〜」
「……今の悪口なんだけど」

 わかりやすく照れていたスズネは、またころっと表情を変えた。

「え! そうなの! 謝って! アタシに悪口を言ったの謝って!」
「謝らないわよ。本当のことを言っただけだもの」
「なにを〜!」

 立ち上がったスズネが騒いでいると、お客のほうからクスクスと笑うのが聞こえてくる。
 一概に「スズネを」と言うよりも「私たち」のやり取りを見聞きして楽しんでいるのもあるようで。
 あくまで、スズネは私たちの代表としてウケが良いだけのような気もしてきた。

「ねぇー! 聞いてるの!?」
「はいはい、私の分の賄いも少しあげるから大人しくなさいな」
「やった〜!」
「ま〜だ、貴方は騒いでるの?」
「げっ!」
「今日は無しにしておこうと思ったけど、賄いの代金は貰おうかしらね?」
「す、すみません! 大人しくします!」

 ハイネに怒られて、席に座った。
 そのやり取りにもお客からの密かな笑いが聞こえてきた。

「やっぱり、看板娘みたいになってるわね」
「え? なんか言った?」
「ほら! 今日の賄い食べて、さっさと迷子探ししてきなさい!」
「わぁー!! 今日は揚げ鳥じゃん! しかも、大盛り!」

 スズネの前に出された揚げ鳥の量は、二羽分の鶏を揚げたかと聞きたくなる量だった。
 それに加えてサラダもお皿から溢れんばかりに盛られている。
 私の揚げ鳥の量もサラダの量もスズネの半分より少ないくらい。
 これくらいで十分、スズネが食べ過ぎなくらいね。
 私の分は分けなくても良いだろう。
 にしても、これから鳥人族ちょうじんぞくの依頼を受けるというのに鳥肉料理が出てくるとは。
 賄いなんて残った食材で作られているのだから、文句は言わないけれど、なんともタイミングの悪い。

「もう少しでくさりそうだったから全部揚げたのよ」
「え、腐り、え?」
「あ、シグさんのは大丈夫のだから安心して」
「ありがと」
「アタシのは!? ねぇー! アタシのは!?」
「うるさいわね、しっかり揚げてあるから安心して食べなさい」
「良かった〜、おいし〜」
「腐りかけだったのはホントだけど」
「えぇ〜!! ……まぁ、いいや、美味しいし」
「「美味しければ、良いのね」」

 私とハイネが揃って呆れると、周りのお客は笑う。
 スズネの自由さに呆れるが、見ている分には面白いのかもしれない。

 

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