第八話 村へ案内

 

「そんな大声で叫ぶでないわ、たわけ!」
「ご、ごめんなさい。あまりにも驚いてしまって……」

 弓月ゆみづき狼耳おおかみみみを手で押さえて、椿つばきえた。
 怒られた椿は体を少し跳ねさせて、うつむいた。
 それを見てため息つきながら、狼耳から手を退けた。

「まったく……それより、鉄戒てっかいてやってくれ」
「は、はい! ひいじい、立てそう?」

 椿がゆっくりと鉄戒の体をなんなく起こした。
 鉄戒はまぶたを強くつむって、くらむのをえている。

「何とか……。曽孫ひまごも準備出来ましたし……弓月様を……お見送りせねば……」
「わっ! まだ無理しちゃダメだよ!」

 手をついて立とうとしても足にまだ力が入らず、つえにしたうででさえ崩れ、顔面から地面へ打ちつけそうになった。
 椿が支えてくれなければ、危なかっただろう。
 人魂の姿では何も出来ないが、あおもついつい心配で近づいてしまう。

「無理をするな、鉄戒よ。もとはといえば、我が悪いんじゃ。お前は家の中で横になっておれ。自分で歩けるようになるまでは待っていてやる」
「かたじけのうございます」
「じゃぁ、ひいじい。ひきづるね」

 鉄戒の帯を後ろ手で持ち、おんぶのような体勢だが、持ち前の力では持ち上がらず、茶屋の中へと引きずり入れる。
 鉄戒もすがまま曽孫に体を預け、茶屋の座敷に座らされ、横になった。

「大丈夫そう?」
「ああ、大丈夫……しばらくすれば……立てるようになるはずだ」
「良かった。水入れてくるから、ゆっくりしててね」
「ありがとう、椿」

 そのやりとりを黙って見ていた弓月は、口元を軽く緩ませ、目を細めて見守っていた。
 いつまで見ていても仕方ないので長椅子に座り直した。
 視線を落とすとお盆の上で倒れた湯呑ゆのみと濡れたお盆が目に入った。
 鉄戒が持ってきたお盆と湯呑み、弓月が飛びかかった時に倒してしまったようだ。
 軽くため息をつくと、湯呑みを拾い上げで、温い白湯さゆを払って、縞合羽しまがっぱで軽くいた。
 白湯のせいで濡れ、泥がついてしまったお盆も縞合羽で拭いた。
 拭けたお盆を長椅子に置き、そのお盆の上に湯呑み二つも置いた。

「よし、綺麗になったな……なんじゃ、蒼。ええい、これくらい構わんじゃろうが、この旅で遅かれ早かれ汚れるんじゃから」

 自分の縞合羽を雑巾ぞうきんのように使われた人魂の蒼が弓月の目と鼻の先でうろうろとただよって抗議してきた。
 虫を払うように手で払われて、また左肩へと戻ったが、不貞腐ふてくされているように見える。
 また軽くため息をついていると、椿が弓月の下へともどってきた。

「お待たせしました、行きましょう」
「ん? 鉄戒は良いのか? 見送ると言って……なるほど」

 茶屋の中の座敷をのぞくと、寝息を立てている鉄戒がいた。
 日頃の疲れが出たというよりも、回復するために寝てしまったと考えるべきだろう。

「すぐ起こす訳には行かないので、弓月さんをお送りします」
「わかった。なら、これは置いていくとしよう。用事を終えれば、ここへ戻ってきて、次へ旅立つ時は鉄戒に見送ってもらおうかの」

 汚れた所を上になるよう適当に丸めて、お盆の横に置いてある三度笠の中に置いた。

「あれ? 縞合羽、汚れてませんか?」
「湯呑みとお盆を拭いたからじゃ」
「それはありがとうございます。なら、お返しする前に洗っておきますね」
「頼む。こいつのお気に入りだからな」

 弓月の左肩へと出てきた人魂の蒼が嬉しそうにふよふよと揺れた。

「ふふ、蒼さんのためにも綺麗きれいにしますね。おけに水を張って、よごれている所をひたしてきますから、もうしばらく待ってください。三度笠も奥に仕舞しまっておきますね」

 椿は、弓月から縞合羽と三度笠を受け取り、湯呑みの乗ったお盆も受け取って、早歩きで茶屋の奥へと入っていった。

「良かったではないか」

 人魂の蒼が弓月の頭の周りを飛んだ。
 どうやら喜んでいるようだ。
 水音が立った後、しばらくすると椿は弓月の下へと戻ってきた。

「では、案内しますね」
「ああ、よろしく頼むぞ、椿」

 椿が先導で山を降りる。
 茶屋を遠回りに回り込むように進むと崖が見えてきた。
 崖から見渡すと、下りの蛇腹の崖道の先に伸びる道の更なる先に水田があり、その水田に囲まれた村が見える。
 村へ向かっている一団も見えた。
 茶屋で蒼に事情聴取をしてきた軽鎧の者達と見受けられたが、弓月は気に留めなかった。

「あれが村か。ここまでわかりやすいと迷いようがないな。方向音痴な蒼には無理じゃろうが」
「流石に……いや、無理かもしれませんね」

 否定しようとした椿だが、上りの蛇腹じゃばら崖道がけみちから迷ってしまうことを考えると迷う可能性がある事に苦笑いをこぼした。
 当の本人は弓月の左肩で突っ伏していた。

「我なら問題ないが、鉄戒に許可をもらってあることじゃから道案内を頼むぞ」
「わかりました! ここから降りますよ」

 登ってきたのが蛇腹の崖道なら、降りる時も同じのような道で足元に気をつけながら降りて行く。
 
「ひいじいとは、いつからのお知り合いになったんですか?」
「そうじゃなぁ……彼奴あやつが若い頃じゃったな。親父さんの弟子として鍛治の腕を磨いていた頃じゃ」
「そうなんですね! それって私と同じ歳の頃ですか?」
「何歳なんじゃ?」
「六十一歳になりますね」

 見た目こそ女の子のように幼さのある椿だが、ちゃんと成人しているのである。
 驚くのは失礼になるだろう。
 半妖となれば、妖怪の寿命の半分。
 人間の血が混ざることで妖怪の力も弱くなる。
 椿の幼さはそのせいもあるかもしれないが、筋力の強さを考えるとそうとも言い切れない。

「そうなのか……どうじゃったかの〜。何せ、随分と前の事じゃからな。まぁ……同じくらいかの」

 ざっと見積もっても、弓月と鉄戒が出会ったのは七百年以上前の事で記憶がおぼろげなのも無理はない。
 妖怪であれば、五百年から八百年は生きるとされ、長寿と考えられるのは千年以上の歳を重ねた者だ。

「なら、蒼さんと私が会ったのも縁がありそうですね」
「ふふ、そうじゃな。なんなら、嫁に来るか?」

 冗談で弓月が言うと、先導していた椿が吹き出して立ち止まり、振り向いて大声を出した。
 蒼は何のことだかさっぱりと弓月の左肩で浮いているだけであった。

「えぇ!? なんでそうなるんですか!?」
「蒼は幼い頃から修行ばかりじゃったから女子と縁が薄くてな。モテない訳ではないんじゃが、興味が薄くて困っておったんじゃ」
「そうですか……じゃなくて! ち、違います! 私は普通に仲良くなりたいだけで……」

 ほっと安堵した顔も束の間、顔を真っ赤にして、お腹の前で手をこねくり回している。
 存外ぞんがい、そう言われて悪くはなさそうな雰囲気があるが……。

「そうかそうか、それはすまんかったの」

 まだ俯いたまま、振り向いて歩き出さない。
 ちとからかい過ぎたか、と弓月も進まずにいた。

「その〜、話は変わるんですけど、聞いてもいいですか?」
「なんじゃ? 改まって。嫁に来るか?」
「話は変わりますけどっていいましたよね!? その! 弓月さんと蒼さんってどうやって入れ替わってるんですか?」
「なんじゃ、そんなことか。妖術によるものじゃよ。魂の乗り移り。相手の身体に自分の魂を移して、相手の魂をその身体から剥がす。本来の使い方はそういうものじゃが。それを応用して、蒼の魂を身体に繋ぎ止めたまま、我がこの身体を操っているんじゃ」
「な、なるほど。そんなことが出来るんですね」
「まぁ、我らが極めて例外じゃが、血族間であれば、不可能ではないということじゃ。現に為し得ておることじゃしな」
「確かに。あとあと、もう一つあるんですけど……」
「もう、好きなだけ聞け」

 四度目の質問になると流石の弓月も鼻を鳴らして呆れてきていた。
 崖から村の方を眺めた。

「すみません……そのどうやって姿も変わったんですか?」
「ん? あー、これは変化へんげしとるだけじゃよ」
「へんげ?」
「そうじゃ、我らはわざわざ人間に近い姿に変化しとるだけで本来の姿ではないんじゃ」
「そうなんですね! じゃ、本来の姿ってどうなんですか? 見せてもらえたり……」
「我の姿は見せもんじゃない! おいそれと見せるか! ほれ、わかったら、案内せい!」
「は、はぃ〜……」

 弓月が手でしっしっとあしらって、しょんぼりしながら椿の先導で再び歩き始めた。
 しばらくすると、次は弓月が「ところで」と口火を切った。

「いつぐらいから鉄戒と茶屋をしておるんじゃ?」
「五十一年前くらいでしょうか。でも、茶屋の事はほとんど私がしていて、ひいじいは奥の鍛冶屋で刀を打っています。たまにお客さんから呼んでほしいと言われることもしばしばありました」
「そうか……あやつも歳じゃ。面倒見てやってくれ」

 鉄戒はもう八百歳を過ぎている。
 今生きているのは弓月に会うためにこそかもしれない。
 それが達せられたのであれば、先は短いかもしれない。

「もちろんです。ひいじいは鍛治となれば、無茶な事をするから私が見ておかないと」
「ふふ、あやつも幸せ者じゃな。我としても家臣が幸せなのは嬉しい限りじゃ」

 蛇腹道じゃばらみちの高低差から椿が見上げると優しく微笑ほほえむ弓月が見えた。

「弓月さんも優しい方なんですね」
「な、なんじゃ、やぶから棒に」

いきなり、椿からそんなことを言われて、足を止めた。

「だって、そんな優しく微笑むんですから間違いないですもん」
「な! 其方もそんな事を言うか! 俺は先に降りておるから、さっさとせい!」

 弓月は照れ隠しにそそくさと、蛇腹の崖道を段差をもろともせず一段ずつ一直線に飛び降りてゆく。

「あ、まって! 弓月さん! きゃっ!」

 慌てて駆け降りようとした椿は足を滑らせた。
 崖から落ちる椿を見て、弓月はきびすを返した。
 すぐに落ちる椿を抱え、その崖下に降りた。

「おっちょこちょいめ。世話が焼ける」
「へへ、やっぱり優しいです」
「放り落とすがいいか?」
「わ、わー! 弓月さん、ありがとうございますぅ〜」

 鋭く睨みつける弓月に棒読みでとぼけながらお礼を言う椿。
 弓月はため息一つでゆるして、また一段ずつ一直線に崖道を飛び降りていった。
 もちろん、椿を抱えたままである。
 椿を心配してか、引っ込んでいた青い人魂が出てきていた。
 少し椿に近寄ってふよふよと漂う。

「あ、大丈夫ですよ。心配してくださってありがとうございます」
 
 椿がそう言うと、安心したのかまた姿を引っ込めた。
 降りた先には、わかりやすい事に、両側に木々が生い茂る一本道があった。

「ここから道なりか?」
「はい。多少曲がりくねってますが、道なりに真っ直ぐです」
「そうか、椿よ。ここまでで良いぞ、茶屋に戻ってくれ」
「で、でも、村の入り口までって約束で」

 椿は手をもじもじさせながら、俯いている。

「それは方向音痴の蒼が取り付けた約束じゃ。我は方向音痴ではないから心配ない。それに村に近づきたくない理由がありそうじゃしな。無理強むりじいはせん」

 蒼と約束する時に暗く俯いた時があった。
 それを弓月はさっしていたのだ。

「ありがとうございます。お気をつけて」
「うむ。椿もご足労かけたな。気をつけて帰るんじゃぞ」
「はい!」

 返事をした椿は明るく元気だった。

「ふむ、軽く動かすか」

 腕と足を交互に脱力して揺らし、軽く足の柔軟をして、走る体勢になった。

「また用事が終われば、そっちに行くから鉄戒によろしく伝えてくれ」

 椿にそう伝えると、返事を待たずに駆け出した。
 すると、砂煙を上げ、道なりに吹く突風のように走り去っていった。

「す、すごい……」

 椿は村へと続く道をしばらく呆然と眺めていた。

 

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