茶屋の山から見ていた通り、田畑が目立ち始め、さらに道なりに進むと村へ着いた。
軽鎧の一団も追い抜かし、その際に少し騒いでいたがまたしても弓月は気に留めなかった。
「ふむ……体はまずまずと言ったところか。さて、村とはここじゃな」
身体の具合を確認してから、村へと入った。
柵や塀で囲われず、家が密集しているだけの場所と言っても差し支えない村だ。
賑やかであり、活気もある。
村へ入る前から子供の明るい声がよく聞こえてきていた。
賑わっている方へ耳を向けると、商人の声かけや客との話し声、村人の井戸端会議のような声も弓月の耳に入ってきている。
旅人もいれば、飛脚も行き交っている。
見渡せば、人間もいれば、妖怪もいる。
弓月が村へと入っても、驚かれもしなければ、さも当然と言うような和やかさもある。
「さてと、探すとするか。ま、おおよそ見当はつくからすぐじゃろうが」
城などはなく、板屋根の家がよく目に付く。
それでも所々に瓦屋根の家も見かけた。
弓月は、辺りの屋根を見ては、瓦屋根の多い方へと進んでいき、ついにはまだ新しい瓦屋根の土塀を見つけた。
「なんともわかりやすい。さて、門はどっちじゃ……」
右左を見比べるがどちらも同じ塀で門はない。
どうも側面に出たようだ。
ただ、周辺の音を聴き分けると右斜め前方向から箒を掃いている音がする。
それを頼りに右へと足を進めて、角を曲がると、白い長髪で淡い黄緑色の着物を着た幼い女の子がいる。
背丈に合わせた小さい竹箒で掃き掃除をしていた。
竹箒で掃いているのと同じように白い尻尾が揺れている。
白い犬耳が右側だけ垂れていた。
「掃き掃除、ご苦労じゃな」
弓月の声かけに反応して、ゆったりと弓月を見た。
女の子のくりっとした茶色い瞳が弓月の顔をじーっと見つめ、小首を傾げた。
「あなたはだれ?」
「我は弓月じゃ。お主はなんて名じゃ?」
「春芽」
「そうか、良い名じゃ」
弓月はしゃがんで頭を撫でると、少し驚きながらも、気持ちよさそうに目を瞑り、俯いて頭を差し出してくる。
尻尾もゆっくりとだが、しっかりと振っている。
それにつられて、弓月も軽く振っていた。
「春芽よ。ここは村長の家であっとるかの?」
「そんちょうってなに?」
撫でる手を退けて、聞いてみたが、再びこてんと首を傾げられた。
子供ならではの純粋無垢な動作はなんとも愛らしく、また頭を撫でそうになる手を弓月はくっと堪えた。
流石の弓月も子供の愛らしさには少し弱いようだ。
「であれば、お前のお父さんはここに居るか?」
弓月が開かれている門の先にある屋敷へと指を差しながら聞くと、春芽は頷き一回。
「ゆみづきさまは、ちちうえにごよう?」
「そうじゃ、話をしたくての」
「わかった。あたちがごあんないする」
「うむ、頼む」
春芽はまた頭を撫でると少しはしゃいで、手を離すと名残惜しそうに目で手を追いかけるが、振り払うように首を横に振った。
「こちらです」
「うむ。……小さくゆったりしておったのに案外しっかりしとる」
春芽の先導で門をくぐり、中へ入る。
くぐる前から見えてはいたが、平屋の屋敷は立派なもので、柱の木面や土壁の色合いからすると新築であることがわかる。
敷地には砂利が敷き詰められている。
門から屋敷の玄関まで隙間はありながらも石畳になっており、その道には砂も砂利もない。
春芽が綺麗に掃いたのだろう。
玄関へ近づくと正面に竹編みの屏風が立っていることに気がついた。
春芽は玄関へと上がらず、玄関近くの石畳の道脇へとさがり、玄関の間には濃い緑色の着物を着た幼い女の子が現れた。
春芽と同じく白い犬耳と尻尾。
背丈も近く、ショートカットの白い髪に左側の犬耳が垂れている女の子。
畳敷きの玄関の間の中央に歩いていくと、茶色い瞳の女の子は正座をして頭を下げた。
「ようこそ、おこしになられました」
「ゆみづきさま。きゃくまへは、そちらの夏葉がごあんないします」
「うむ、わかった」
弓月が返事を返すと、春芽はお辞儀をして、玄関とは違う竹格子に備え付けられた竹編みの勝手口から屋敷の中へと入っていった。
弓月は踏石で草履を脱ぎ、板敷に上がると草履を持ち上げて、裏同士重ねて、懐へとしまった。
「ゆみづきさま、そのようなことはしなくても!」
「案ずるな、こちらの都合じゃ。そんなことより案内してくれ」
「わ、わかりました! こちらへ」
玄関の間へと上がると、少し慌てて、夏葉が弓月を先導する。
玄関の間から出て、庭に面した廊下を進み、客間であろう畳敷の座敷へ通された。
すでに座布団が置かれており、片や一枚、もう片方には三枚の座布団が置かれている。
「こちらでしばらくおまちください!」
夏葉は廊下から正座に頭を下げると、襖を閉じた。
弓月はそれを見送り、座布団に胡座をかいた。
女性としてどうかと思われる座り方ではあるが、武人であった彼女からすれば、むしろ、好ましい座り方だろう。
十三畳の座敷、床の間には掛け軸が飾られ、床板に花がいけられた花瓶が置いてある。
「三日月」と書かれた掛け軸は、かなりの年月を重ねているようで、布地は色落ちし、長半紙はくすみ、紙の端が朽ちてしまっている。
弓月はその掛け軸をじっと見ていた。
なぜ、古ぼけた掛け軸を客間である座敷に飾るのか、村の長たるものが偉く貧乏くらい。
その癖、木の木目や畳、襖を見るにこの屋敷は建ってまだ日が浅いように感じるにも関わらずだ。
「こんなものを飾りおって」
そう悪態をついて、目を瞑り、瞑想する。
あの掛け軸のせいで忘れていた出来事を思い出す。
まだ弓月に身体があり、最後に筆をとった時の思い出を。
朧げに。
床を軽く三回叩く音がして、弓月は顔を上げた。
しばらくすると正面の襖が開いた。
そこには、襖を開けたであろう正座の男。
その男は、焦茶色の着物に黒い羽織を着ており、白い犬耳と尻尾がある。
その後ろに春芽と夏葉も正座しており、三人とも同じタイミングで頭を下げた。
「失礼致します」
男が言うと、男を先導に三人とも客間へと入って来た。
男と夏葉は先に座布団へと座った。
春芽が持っているお盆には湯呑皿に乗った小振な湯呑みが四つ。
湯気が立っている。
弓月へと一つを出すと、順に出していき、春芽が座って、改めて三人とも手をついて頭を下げた。
「お待たせいたしまして、申し訳ありません。村長の白犬妖怪であります。政元にございます。黒狼妖怪一族からこの地を預かり、三百年もの間、守らせて頂いております事、こうして、弓月様とお面通り預かり、恐悦至極にございます。後ろに居るのは私の娘たちでございます。弓月様から見て、右に春芽、左に夏葉。何卒、お見知り置きを」
政元はそう言い終わると三人とも顔を上げた。
瞑っているほどに切れ長い目から覗く茶色い瞳が、弓月と青い人魂を捉えていた。
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