第十五話 休息 と 厄介事

 

「じゃ、じゃあ、失礼します」
『? ああ』

 どこかぎこちない椿つばきを見て、あおは少し疑問に思っていた。
 何か緊張するような事でもしているように思えたからだ。
 今もこっちに来るのか来ないのか、足踏みを繰り返すだけの椿に困惑していた。

『なんか緊張してるのか?』
「べ、べべべ、別に緊張なんかは」

 あからさまにしている。

『あからさまにしてるな。俺は何もしないから布団とでも思ってゆっくりしてくれ』
「で、でも〜」
『そんなことしてると冷える一方だ。全く』
「ふぇっ!」

 蒼の目と鼻の先にいた椿を、顔で体へと押し込んだ。
 まさか押されると思っていなかった椿はされるがままに蒼へとうつ伏せに倒れ込んだ。
 ばさりと布団よりも心地よい暖かさを感じた。
 毛の硬さはあるがそれはあくまで表面に出ている毛であって、皮膚に近い毛は柔らかい。
 触り心地に柔らかさがあったのはこれのおかげかと顔ですりすり、手ではわさわさと蒼の毛を堪能する。
 なにより、この暖かさ。
 今は狼だが、人肌の暑くもなく冷たくもない暖かさが気持ちを落ち着かせてくれる。
 あとは匂い。毛に埋もれたからこそ息をする事で匂いを感じ取れる。
 少し汗の匂いがするが、ほんのりと香ばしい匂いがして、椿にとって落ち着く匂いでもあった。

「ああ、いい感じです〜」
『そうか。反応がなかったから心配したが、良かった。眠れそうか?』
「ちょっと寒く感じますけど、眠れると思います」
『なら、もうちょっと丸まって……いや、尻尾をかぶせればいいか』

 蒼は少し態勢を変えると、尻尾を椿に被せた。
 ちょうど掛け布団のようになった。

「これならあったかく眠れそうです」
『良かった。ちょっと早いが寝ることにしよう。どうせ、そこの狐は朝まで起きなさそうだしな』
「そうですね……蒼さんに振り回されて疲れましたし」
『悪かった』
「怒ってませんから大丈夫です……ただ、疲れたなって……」
『俺もまさか椿に怒られると思ってなかったな』

 何か返事があると思っていたが、返事はなかった。
 椿を見ると寝息を立てて眠っている。
 寝つきの速さからして、相当疲れていたようだ。
 最初の試練で眼を回して、二回目の試練で気絶をしていた。
 それにここまでの道中の疲れもあり、お腹が膨れた状態であればすぐに寝付くか。

『椿にとって、この旅は滅多になかった事ばかり起きてるな。しっかり守ってやらないと……』

 椿の寝顔を見ながら決意を改めた。
 約束だから守るというよりも今日感じた椿に対する愛着からくる気持ちで守りたくなっている。
 そうとは露も思っていない蒼は、ゆっくりと眼をつむった。

・――・――・

「なるほど、そのような事が」
「はい……あの日の夜は忘れる事ができず、寝れずうなされる程でございます」

 口元にご飯粒をつけた元虚無僧もときょむそうせこけた顔であるが、腹はこれでもかとふくれていた。
 部屋の隅には食べ終えた御膳ごぜんがたくさん置かれていた。

「いやいや、疑ってなどおりません。貴方にした仕打ちを考えれば間違いはないでしょう。しかし、黒いきりのようなものですか……そんな妖怪は聞き及んだ事がありませんが」
「あれを見た時は何かの見間違いかと思いましたが、あの貴族の部屋へと入っていったのを見て、心配になり聞き耳を立てていると」
「話を聞いているのに気づかれ、煮湯にえゆを飲まされて屋敷を放り出されたと」

 元虚無僧は頷き、俯いた。
 狐面きつねめんの男も面に隠されたあごに手をつけた。

「そして、『仇敵の黒狼が本州に来やがったゾ』と」

 元虚無僧は俯いたままに頷いた。
 顔を青くさせて、思い出したくもない事を考えたせいであろう事は狐面の男にもわかっていた。
 立ち上がって、ふすまに貼り付けてあったふだがして開けた。

「それに加えて『葵祭あおいまつりを狙え』と。これを知る機会を得られたのは大手柄おおてがらですね。流石は弓月様でございましょう」

 三日月を見ながら、そう呟いた。

菊左衛門殿きくざえもんどの
「は、はい、なんでございましょうか?」

 俯いていた元虚無僧は名前を呼ばれて顔を上げた。

「しばらくはここで療養りょうようしてください。その後は僕の家の庭師にわしになって、一生仕いっしょうつかえてもらいたいのですが?」
「もちろんでございます! これほどにお呼ばれして、恩返ししないわけにはいきません。しかも、その後の面倒まで見て頂けるなんてこれほどに幸せな事はありません」

 それに、と続けた言葉は少し申し訳なさそうに額の汗を拭った。

「ここまでやりがいのあるお庭は宮中にはありませんから。そちらから申し出がなければ、拙僧せっそう……いえ、わたくしの方から恩返しにと申し出ていた所です」

 部屋の中からでも見える庭は木も草も自由に生え育ち、池に至っては藻が生え落ち葉も浮いたままである。
 池の場所を見間違えば、落ちてしまうのではないかと言うほどに荒れ放題。
 この屋敷に招かれた時に目を疑った景色は庭師として放ってはいけないものであった。
 
「ふふ、僕も僕でおいそれと他人を家に招く事が出来ないんですよ。たとえ、庭師であろうとも菊左衛門殿のような事があってはいけませんから」
「そ、それはどういう……」
「なに、平穏貴族にも色々あるという事です。ここで一生仕えてもらうからにはここで聞いた事は他言無用。でお願い致します。でなければ、僕ら諸共破滅もろともはめつへと向かってもらいますから」

 狐面の男は菊左衛門へ振り返ると庭に面した廊下から一人の少女が現れた。
 顔は月明かりで影が落ちて見えなかった。
 だが、頭には獣耳けものみみに腰辺りには大きな尻尾があった。

・――・――・

「やはり、京内に良からぬものが入り込んだみたいやな〜」
「左様でございますか」
「ちょっと騒ぎにもなりそうやから、対策せんと」
「であれば、『天道団てんどうだん』にお任せを」
「うーん、それもええんやけど……ちょうど、ええのが来てくれとるからそっちに頼もか。アンタらはもしものための保険でお手伝いしたり〜」
「御意」
「で、弓月の連れは〜? ふふ、五尾ごびの社まで来とるんか。仲良うに寝て可愛らしい事やな。まぁ、五尾はのんびりした子やからあ〜する他ないわな。このまま行けば明日にはここに来るやろうて。伊竹いたけも抜かりなくな」
それがしはいつでも」
「やろうな。まぁ、わらわはちょっとゆっくりさせてもらうわ」

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