「さて、蒼くんに結晶の中をお見せしたので、しっかりと封印を施すとしましょう」
皓月は目まで隠していた鉢巻を外した。
その鉢巻を袖口に仕舞う。
皓月の隠れていた目は真っ白だ。
しっかり見ると、瞳孔の黒い輪郭はあるものの、瞳孔の内側が真っ白である。
「皓月、その目は」
「気にする事はありません。僕の目は生まれつきです。この名もこの目が由来ですから」
眼は蝋燭の火に照らされている。
まるで、皓々たる満月のようだ。
その眼は、結晶へと真っ直ぐに向き合っていた。
そんな皓月は二人を避けて、細い締め縄の前へと歩み出た。
「二人は少し離れなさい。私の妖力にあてられるとただじゃ済みませんよ」
振り向いて二人に微笑みかけた。
口元は笑っていても、目が笑ってはいない。
ゆっくりと確実に妖力を練り上げている皓月は、本気である。
その様子を見て、蒼と白理は駆け足気味に堂の隅へと寄り、皓月を見守る。
「父上の封印の妖術は容赦がない。範囲に入れば、封印される」
「もし、されたら?」
「死んだも同義」
白理の言葉を皮切りに堂の中で風が起き始めた。
締め切られた堂の隙間から風が入ってきた訳ではない。
水晶へと引き込む風。
それは漏れ出ていた弓月の妖力を再び水晶からへと戻す際に生まれた副産物。
皓月による封印の妖術が生む一端である。
堂の中は沼のように弓月の妖気が沈殿していたが、皓月の術によって、拭われ、白い妖気となって水晶の中へと入り込んで行く。
薄く白んでいた水晶がより濃く白んでいき、終いには弓月の体が見えない純白の水晶が出来上がった。
弓月の妖気が漏れ出すことのない完璧な封印である。
蝋燭の火に照らされ、純白の水晶がその灯りを反射している。
そのおかげで堂の中の昼間のよう明るくなり、雰囲気も晴れやかになった。
「ふう……義姉上の妖気は重っ苦しくて敵いませんね。やはり、毎日行う方が効率がいいです」
「流石のお手並……封印の妖術で父上に並ぶものはおりません」
着物の袖でおでこを拭う皓月だが、その実、汗などかいていない。
白理の目から見ても十分にすごい妖術に違いないのだが、皓月にしてみれば、たわいないのだろう。
袖口に仕舞った鉢巻を取り出し、優しく締めた。
「ありがとう、白理」
皓月は歩み寄ってきた白理を撫でた。
撫でられた白理は嬉しそうに狼耳を動かし、尻尾を大きく振った。
「確かにすごかった。あんなのは見た事がない」
「ありがとう。でも、私の力を見せるために蒼くんをここに連れてきたのではないんですよ」
皓月は振り返って純白の水晶を見上げた。
見えなくなったその中へと思いを寄せるように。
「俺も話が聞きたい。白蘭が言っていた「使命」っていうのはきっと弓月の体が関係しているんだろ?」
蒼は、少し寂しそうに誇らしそうに呟いていた白蘭が優しく微笑んでいたのを思い出していた。
白蘭がそうしていたのは蒼を気遣ってではなく、きっと弓月を想っての事なのだろう。
「そうですね。白理の紹介で話が逸れてしまいましたが、話すとしましょう。なぜ、義姉上は魂だけの存在になり、身体はこうして封印されているのか。それを語るには生骸大乱よりも四百年程前の事から話すべきでしょう」
あの頃はまだ人も妖怪も互いを牽制し合い、忌み嫌い合っていました。
妖怪が妖術で悪さをすれば人間に殺され、人間が縄張りを奪おうとすれば、妖怪が人間を殺していた。
憎み合い、殺し合い。
水に油、犬猿の仲よりもタチが悪い間柄でありました。
そんな時代の中で、弓月は白蘭を連れ立って、自分達が住める場所を探していました。
人間に里を焼かれ、身内もほとんどが殺され、生き残りがいたとしても、もうすでにどこかへ逃げた有様。
戦い抜いた二人は焼かれた里を後にした。
二人では里を直すことなど出来ず、それならば、他の妖怪の村に転がり込むしかないと考えたのだ。
だが、たどり着く村はどこも受け入れてくれず、二、三日は野宿をして、過ごした。
四日目にたどり着いた村々にも受け入れられず、野宿をする事にした時である。
その化け物は、二人の前に突如現れた。
頭は猿、胴体は狸、手足は虎、尻尾は蛇という得体の知れない化け物である。
二人はすぐに戦おうとしたが、その化け物は二人の妖力に驚いて、頭を柔らかい肉球で押さえて、怯え始めた。
二人はどうも様子がおかしいと思い、戦う意志がない事をその化け物に伝えるとおっかなびっくりに片手をどけ、片目で二人の様子を見た。
そして、すぐさま人間に化け、土下座をした。
「我は、里長に言われて、二人を迎えに来た遣の者じゃ。驚かしてしまい、すまんかった!」
人間に化けた化け物からの言葉に信じ難そうにする弓月に、白蘭はついて行ってみましょうと提案して、ついていく事にした。
その里は山を一つ超えた先にあった。
山に囲まれた場所にある里は、人間から襲われにくく、守りやすい事から、妖怪が多く住んでいた。
その里長である九尾は二人の様子を妖術で見ていたようで、四日間も野宿をしながらもあらゆる里を回る逞しさを見込んで迎え入れる事を決めたそうであった。
しかも、黒狼妖怪の生き残りともこの里で出会い、大いに喜んで、二人もこの里に住む事にした。
白蘭はその妖力の強さを見込まれ、九尾の仕事を手伝うようになった。
弓月は焼かれた里の里長をしていた事から里の中の問題事や諍いを仲裁するよう九尾から命じられた。
相方として、遣として出会った鵺である斑鳩と共に日々を騒がしくもそれなりに楽しく過ごしていた。
そんな日々の中で、お互いに妖術を磨き合い、弓月は鵺から変化の術を、鵺は炎の妖術を教わりあうほどに仲良くなっていった。
そして、二人がお互いの妖術を身につけた頃である。
[[rb:斑鳩 > いかるが]]が変わった術を試してみようと言い出したのは。
「弓月よ、我とも姉妹に……否、心の友、心友にならぬか!」
「何を言っている、斑鳩。お前まで私を困らせるつもりか?」
胡座をかいて、酒を飲む弓月は左手に黒炎を生み出した。
その炎の中でお猪口が跡形もなく、灰となり、空気に消えていった。
その時の弓月は日々のいざこざのせいで苛立ちを募らせていた。
やけ酒と称して、鬱憤を酒で洗いながし、気持ちよく酔ってきていた。
のにも関わらず、斑鳩は意味のわからない提案をしてきたのだ。
こんな時にまで困り事などまっぴらだ、いっそ燃やしてしまおう。
そう思った弓月の動きに迷いはなかった。
「ち、違うそうじゃない! 我らはもう相棒だの相方だのと言うような間柄では無いじゃろ! ただ、女同士では夫婦の契りは交わせぬし、子など成せるわけも無い」
「……変化の術で一時だけ雄にならば良い」
「へ?」
斑鳩が素っ頓狂な声を上げるのをよそに。
弓月は立ち上がって、袴を解き始めた。
「そんなに私と特別な関係になりたいなら、雄に変化してやるからはら……」
「それ以上はダメじゃ! それにそんな事でお前と関係を持ちとうない!」
斑鳩は薄紫の長髪を振り乱しながら手を右往左往させて、酔った弓月をやめさせる。
本来ならこんな事をしない弓月なのだが、今日はやけ酒ということもあって、悪酔いをしているようであった。
「なら、どうするつもりだ?」
「じゃから、心友の契りじゃ」
「そんなけったいな事をしなくても私たちはこうして同じ飯を食い、酒を飲み、日々の厄介事をやってのけておると言うのに今更……大体、誰がそんな得体のしれん契りなどするものか」
弓月は袴を履き直すと、やけくそ気味に腰を下ろした。
徳利を持ち、自分のお猪口が見当たらずに、そのまま酒を煽った。
「あ、恥ずかしいんじゃな?」
斑鳩の言葉に弓月の狼耳がピクリと動いた。
「我とそんな事までして一緒に居たいという意思表示が怖いんじゃろ? この狼様はお一人様が大好きじゃから困る。じゃが、我が死ぬ時でさえも共にしてやろうと言っておるのにの〜。はぁ〜、こんな事なら一人で仕事を……」
そう言う斑鳩に対して、弓月は無言で近寄った。
弓月は斑鳩の頭と肩に手を掛けると耳元で。
「千切るぞ?」
「うーん、それは意味が違うじゃろ?」
弓月の「契る」と「千切る」を掛けた酔いも覚めそうな怒り混じりの冗談になんとか斑鳩は反応してみせた。
二人の仲の良さあっての掛け合いと言えるが、冗談が過ぎている。
冷ややかに囁かれた斑鳩は冷や汗を掻きながら、弓月の両手に手を添えた。
弓月は相手を脅す時には、相手よりも優位に立ち、耳元で囁く癖があった。
問題事を力尽くで解決する時なんかにも良く出ていたことから「狼の[[rb:遠吠 > とおぼ]]え」ならぬ、「狼の囁き」と言われている事を弓月は知らない。
「弓月はもう少し素直になっても良いと思うんじゃがなぁ」
「五月蝿い」
斑鳩は軽く小言を言いつつ、その場にあるもので即席で儀の準備をする。
弓月は悪態をついてから、酒を一気に流し込んだ。
きっと、恥ずかしさを酒で紛らわそうとしていたのだろう。
「弓月よ、これはお前のだ」
「なんだ、この首飾りは」
白い勾玉が結ばれた首飾りを渡さられ、怪訝そうに睨みつけた。
斑鳩の手には、黒い勾玉が結ばれた首飾りがある。
「この首飾りを何時も首にかけておく事こそがこの契りの大事な所なんじゃ。さ、首にかけてくれ」
斑鳩が首飾りを首にかけると、催促された弓月も胡散臭そうに首にかけた。
「よし。では、心友の契りを結ぶぞ!」
「仕方ない。お前がどうしてもと言うからしてやるのであって、誰ともこんな事せんのだからな! 私はお前と場所は違えど同じ時に死んでやる! お前もその覚悟があってのことだろうな?」
「そ、そらそうじゃ! お前は喧嘩っ早い所があって敵わんからな! 我ぐらいはお前の馬鹿に付き合ってやるんじゃから感謝せい!」
二人は売り言葉に買い言葉で契りの言葉を交わし合うと残りの徳利でもって、盛大に乾杯した。
そして、その酒を一気に飲み合った。
その後は、いつものようにどんちゃん騒ぎ。
終いには酔い潰れて、二人していびきをかきながら眠りついた。
こうして、風情もなければ、情緒もない心友の契りが交わされた。
闇夜の中で二人の胸元でそれぞれの勾玉が優しく光っていた。
そして、この契りが魂と身体を別つきっかけになろう事は知る由もなかった。
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