第十一話 次の目的地

 

「そうなるだろうとこちらも考えておりました。春芽はるめ夏葉なつめ、例の物を取ってきてください」

 政元まさもとの言葉で二人は立ち上がって、ふすまを開け、部屋を出ていった。
 

弓月ゆみづき様、次の目的地はどこに?」
「そうじゃな……まずは、ここいらで行くべき場所がまだあるんじゃ。そこに行ってから、きょうへ向かおうと考えとる」
「京へ……しかし、弓月様は流刑るけいを受けた身。本州へ来ていることがバレてしまいませんか?」
「案ずるな。何とかしてみせよう。それにもうバレているやもしれぬし、コソコソするのはしょうに合わんのでな」

 眉間にしわを寄せ、心配そうに見てくる政元に目もくれず、弓月は部屋の天井を見上げた。
 そのせいなのか、天井から板がきしむ音がしたように聞こえた。
 遅れて、政元が見上げるが、「ねずみでも居たんじゃろう」と弓月は声を掛け、すっくと立ち上がった。

「善は急げじゃ、すぐにここを立つ」
「お待ちください! 渡したいものがございます」
「なら、また戻ってくるとしよう。それを受け取ってから京へ向かう。……薄井うすいよ、私だ。待たせたな」

 弓月が掛け軸へと語りかけると、掛け軸が煙玉けむりだまのように爆ぜると、煙の中から白く長い紙切れが飛び出てきた。
 部屋をしばらく飛ぶと、弓月の身体の周りを囲むように飛び始めた。
 壁に掛け軸はなく、画鋲がびょうだけが刺さっている。

「弓月様……もしや、それは……」

 驚いている政元など気にせずにその長い紙切れが左肩の蒼に気づいた。
 手のようなものを伸ばし、蒼も火の粉のようなものをその手に飛ばした。
 それに驚いたが、焦げた様子はなく、むしろ嬉しそうに弓月の周りをさらに飛び回った。

「驚いたじゃろ。こんな事もあろうかと一反木綿いったんもめんに変化の妖術を覚えさせ、お前達にたくしたのじゃ。まさか、飾られるとは思わなんだが……おいこら、喜んどる場合か! 早くせんと燃やすぞ!」

 薄井うすいという名がある一反木綿は、弓月の言葉におっかなびっくりにちぢれ上がったのも束の間、紙の身体から腕のようなものを伸ばし、庭側の襖を開けた。

「では、政元よ。今晩には戻る。一晩休ませてもらった後に京へと向かうから支度をしといてくれ」

 床に降りてきた薄井の上に弓月が胡座あぐらで座った。
 それにあわせて、薄井はゆらりゆらりと飛び始め、部屋を出て、庭と塀を越えて、高度を上げて飛んでいく。
 その様子を政元は見送りながら、政元は「御意ぎょい」と呟いた。
 もはや、政元の声など届かず、見えても米粒のように見えるくらいに薄井うすいは高く飛んでいく。

「父上、戻りました! また賊を探しに行きますが……何を見ているんですか? な! なんですか、あれは!?」
「弓月様と薄井という一旦木綿ですよ」
「あの者たちは何者で……いや、弓月様という事はっ! まさかっ!」

 戻ってきた政晴まさはるに政元はゆっくりと頷いていた。

白蘭びゃくらんの所へ向かってくれ」

 茶屋のある山と同じ高さの頃合いに、弓月は薄井にそう言った。
 また薄井から腕のようなものが伸びてきて、親指を突き立て見せた。
 言葉が話せない薄井は昔から弓月と身振り手振りで意思疎通をしている。
 この場合、「承知しょうち」と言った所だろう。
 飛ぶ方角を変え、雲にまで達している山へと飛び始めた。

「……もうそろそろ限界じゃ、急いでくれ」

 弓月の言葉を聞いた薄井は、速度を上げて、目的地の山へと飛んでいく。
 うつむいた弓月の表情は見えないが、息を強く吸っているようで肩が上下に揺れていた。
 酸素の濃度の変化、登山病の類でそうなっているのではなく、あおの身体を乗っ取るための妖力に限界が来ているのだ。
 弓月は、身体と魂が離れた際に多くの妖力を身体に残してしまい、弓月の魂自体にある妖力は少ないと言える。
 蒼の身体を乗っ取るのは一日に二、三度。通算しても半日も持たない。
 昼九ひるここのつである一二時台から昼七ひるななつである十六時台である今でざっと四時間程。
 鉄戒てっかい椿つばき、政元たちとの会話、移動など生命活動をするだけでも妖力を消耗する。
 それを踏まえれば、今日はってくれた方と弓月は内心でそう思っていた。
 蒼がまた左肩にくっつき、人魂ひとだまの輝きを強めたが、弓月が優しく触れた。

「蒼、大丈夫じゃ……妖力を分けようとせずとも良い。少し無理をするが、ギリギリまで許してくれ」

 冷や汗をかきながら、微笑みかける弓月を信じるように輝きを弱めて、左肩から離れて浮いた。
 蒼は人魂の姿でも妖力を身体へと移す事ができる。
 だが、そうすれば、人魂でいる妖力が減り、下手をすれば、死んでしまう可能性がある。
 いざという時の最終手段をしようとした蒼だったが、弓月はそれを怒ることなく、優しくなだめるのを見ると弓月自身も余裕がないようだ。
 今向かっている目的地は雲よりも高い山頂にある。
 その山頂へ行くために薄井が雲へと突っ込むと、視界が真っ白になった。
 弓月の身体に雲がまとわりつくように引いていく。
 そして、雲から突き抜けると、青い空と白い雲に挟まれた空間に出た。
 少し視線を落とせば、海原うなばらの波のようにうねる雲。
 その雲に満ちた雲海うんかいの中に建物が見えた。
 知る人は数少ない雲海の寺。
 雲の上に建てられているような塀で囲まれた大寺がある。
 そこへと近づいていくとその門の前で人が立っているのも見えた。
 薄紫うすむらさきの長髪と白い着物の袖をなびかせ、弓月を待っているように立ち尽くす女性だ。
 その女性には獣耳もなければ、尻尾もない。

彼奴あやつめ……あそこに降りてくれ」

 薄井は門で待つ人の前へと降りた。
 弓月はゆっくりと薄井からよろめきながら降りるとその人が駆け寄ってきた。

「弓月……わっ」

 弓月は抱きしめられるが、もう力が入らないようでもたれ掛かる形になった。
 だが、相手も支えられず、石畳の道の上に倒れてしまった。

「すまん、もう体を動かせん……」
「いいよ、お疲れ様」

 まさかのねぎらいの言葉に驚いて、目を見開いたが、すぐに目を細めた。
 抱きしめてくる腕からも優しさが伝わってくる。

「……お前の声を聴くのは本当に五千兆年振りに感じるな」
「何を言ってんだか……でも私もそう感じるわ」
「お前が「私」なんて言っておるとは……われは驚いたぞ」
「あなたが「我」って言ってるのも変ね」

 三百年よりも数百年前にお互いが使っていた一人称。
 それを今はお互いに使いあっている。
 今の自分達に笑い合った。
 懐かしい。
 鼻が効けば、懐かしい匂いもするのだろうと思いながら弓月は目を閉じた。

「もうしばらく語らっていたいが、我の妖力が持ちそうにない……」
「構わないわ、また話せるでしょ?」
「そうじゃな……また会いにくるとしよう……」

 そう言って、弓月は眠りについた。
 安らぎに満ちた寝顔を眺めていると、青い人魂に気づいた。

「君は……? そうか、この身体の子だね。弓月の事、お願いね」

 そう言われた蒼は、縦に揺れた。
 その反応を見て微笑ほほえむと、弓月の親友はゆっくりと目を閉じた。

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