「わかった、よろしく頼む。……いきなりで悪いんじゃが……ん?」
弓月が話そうとしたが、政元の後ろの二人がこそこそと話しているのが聞こえてきた。
「あれ? ねぇ、春芽ぇ? ……なんか、ゆみづきさまのかたにいるんだけど、だいじょうぶなのかな?」
「ゆみづきさまが、きにとめていない。なら、しんぱいないはずよ」
「これ、夏葉。弓月様の前で私語は慎みなさい」
「ご、ごめんなさい」
「いや、我の方こそすまなかった。この左肩の人魂は蒼じゃ。我の子孫であり、この身体の持ち主。今は蒼の身体を借りて、お前らと話しておるんじゃ」
人魂の蒼は、弓月の左肩で円を描くように動いてみせた。
三人によろしくと言っているようだ。
「弓月様、ご紹介ありがとうございます。蒼様も何卒、宜しくお願い致します」
政元が頭を下げると、後ろの二人も頭を下げた。
蒼も縦に揺れて、お辞儀をしているようだ。
詮索をするのは控えておりましたが、なるほど。身体のないはずの弓月様がこうして居られる事に納得がいきました」
「なんかすごいね」
「そうね」
政元が咳払いをすると後ろの二人は口を閉じて、背筋を伸ばした。
「すみません、弓月様。先程の続きをおっしゃってくださいませ」
「そうじゃな。そこの古ぼけた掛け軸をしまってくれ。みすぼらしくて見るに耐えん」
弓月は掛け軸を見ずに指を差した。
そう言われた三人とも、掛け軸を見たが、弓月に向き直って、政元が。
「それは致しかねます」
「なぜじゃ」
「この部屋は弓月様専用、強いてはその御子孫様方の部屋にと私どもの目印として、掲げさせてもらっております故にございます」
政元の言葉に後ろの二人も頷きを二回ずつ。
「何もこれを飾らず、違う方法で分別すれば良いじゃろ。例えば、部屋に装飾を施すなり、表札を立てるなり」
「それも考えましたが、弓月様方が落ち着かないかもしれないと考えまして、表札は敵の襲撃の事を考え、分かり易すぎるのもどうかと」
またも政元の後ろの二人も頷き二回。
「であれば、敵にも分からない何か目印をじゃな」
「であるからして、この掛け軸なのでありまする。この掛け軸は弓月様がかの大乱にて活躍したものの敵大将のご子息は弓月様の御親友であったことで温情をお掛けになり、敵の一族の根絶やしであった所を生捕にし、国から反逆の罪に咎められ、流刑となった。流刑が行われる前、最後に御身で書かれたのがこの掛け軸。これ以上に目印になるものはありません。この逸話も三百年の月日を超えて、知っておりますのは私達か、弓月様とその御子孫方と考えますれば、妥当にございましょう」
そう語る政元の両目尻には一粒ずつ光るものがあり、後ろの二人は手ぬぐいで涙を拭いながら頷きを二回。
夏葉にしては、鼻も啜っている。
それに対して、弓月は顔を引き攣らせながらドン引きしている。
蒼はふよふよと左肩で浮いているだけだった。
「泣くほどではないじゃろ」
「でありますから! 外す事ができせん! というか、外しません!」
「もはや、意地になっとるじゃろ! まぁ、いい。こやつも大変じゃったの」
掛け軸を見て、三人に向き直ると、三人とも首を傾げていた。
それをお構いなしに弓月は湯呑をもち、「なんでもない」と一言呟き、お茶を飲んだ。
飲んでいる最中に少し狼耳をピクリと動かし、湯呑を茶皿に置いた。
「……そうか。あれから掛け軸がおんぼろになるくらい月日が流れたんじゃな……我が流刑になった理由。それに加え、身体のない魂だけの存在にまでなってしまい、一族もろとも道連れにしてしまった」
「三百年前の大乱の事ですね」
弓月は何も言わず、頷いた。
三百年前の昔の話。
妖怪の中でも最も凶悪な妖術を生み出し、その力に溺れ、国を征服しようとした妖怪「鵺」の一族。
凶悪な妖術とは、ありとあらゆる生き物の屍を操る事ができるという術であった。
その妖術を使う事ができた鵺一族は、人を、妖怪を、動物さえも殺せば殺すほどに力を高めていった。
鵺一族に手をかけられた者は当時の人口の半数を占めた。
生きている者は居たが、もちろん、戦えない者もいた事を踏まえれば、こちらが不利であった。
いわば、死せる者と生ける者の戦い。
後に「生骸大乱」と呼ばれる戦い。
弓月は生ける者の軍勢「生軍」にて大将として軍を率いた。
その中には、狼、犬、鬼、猫又、イタチ、雪女、天狗、その他の異形の妖怪達。
そして、人間たち。
由緒ある武家一族の生き残りや野侍もいた。
妖怪と人間が入り乱れた、生ける者たちによる連合軍。
その連合軍の軍師として、九尾やぬらりひょんといった妖怪も人間側の才ある軍師と肩を並べていた。
敵となる「骸軍」は、鵺一族の族長を大将とし、鵺の血族が屍を操つり、軍を成していた。
鵺一族の妖術は、屍を操る事であり、術者が殺した屍だけしか操れないわけではない。
一族の中での決まりとして、殺した屍しか操らない。
その術者が死ぬか、同意がなければ他者の屍を操らないという決まりがあった。
屍の中には、生軍の仲間と縁のある者の屍が腐りながらも操られており、苦戦を強いられた。
挙句、屍の腐った血肉を戦いの最中に浴びてしまい病になり、その病に苦しみながら死に至った仲間もいた。
骨さえ残っていれば、鵺一族の妖術は操る事ができた事から息を引き取った仲間たちの亡骸は即刻火葬、骨の一欠片まで灰になるまで燃やし尽くした。
弓月は火力の強い炎の妖術を最も得意としていた事で率先して、仲間の火葬を行った。
火葬の最中に鵺の妖術にかかる屍がいたことで火葬さえも気を抜く事は許されず、同伴の仲間と共に戦った。
敵の術者を倒しては、術者もろとも屍を火葬し、その戦いで死んでしまった仲間も火葬していった。
そんな大乱は長期に渡り、族長を倒した頃には「生軍」の仲間は戦が始まる頃に比べると死者は八割を超えていた。
戦いが終わり、いざ、鵺一族の族長の火葬をしようとした時、族長の一人娘が族長の[[rb:亡骸 > なきがら]]に泣きついていた。
「私は……」
前を向いたまま、弓月の目尻から頬へ顎へと流れた水滴が畳に落ちた。
それに気づいた蒼は、弓月と心配そうに左肩へくっついた。
「弓月様」
蒼の反応と政元の声で自分が泣いていることに弓月は気づき、涙を拭った。
「す、すまんの。我とした事が……」
あの大乱を思い出し、一人称さえも当時に戻ってしまった。
敵となった屍は仕方ないにしても、仲間の屍も焼いた。
その数は計り知れない。
耳と鼻、もとい、聴覚と嗅覚共に優れていた弓月であったが、大乱を終える頃には耳は遠く、鼻に至っては使い物にならなくなっていた。
仲間の叫び声、泣き声、死にきっていない仲間を焼いた時の自分の放った炎でもがき苦しむ声。
そして、何よりも敵の屍が、仲間の屍が焼ける匂いが弓月には耐えられなかったのだ。
今では、耳は方角ごとに聞き分けられるまで回復したが、蒼の身体を借りていても、嗅覚は死んでいる。
もちろん、蒼は耳も鼻も良く効くのだから、蒼の身体に問題はなく、健康体と言える。
あるとすれば、弓月の心、精神的な問題なのだ。
弓月に弱点があるならば、鼻が効かないことである。
「無理もありません。あの大乱で心を痛めた者は後を立たず、生き残った者達にも多くの悲しみと虚しさが残ったと我々一族の中で語り継がれてきました。あの大乱を知っている一族であれば、贔屓目で見ずとも一番の功労者は弓月様でございましょう」
政元は弓月の言葉に首を振り、慰めの言葉をかけるが、弓月の顔色は優れる事はなかった。
蒼も左肩にくっついたまま離れなかった。
「じゃが、我は最後の最後でしくじった……」
鵺一族の族長の一人娘。
弓月は彼女を族長の遺体から離して、火葬した。
「生骸大乱」の終結は鵺一族を滅ぼす事にこそあったにも関わらず、弓月は一人娘を殺さなかった。
否、殺せなかったのだ。
骸を操る術を作ったのは族長であり、それに習い、術の強さ故に一族のほとんどが術者となり、暴走した。
だが、一人だけその毒牙から退いていた。
それが一人娘である。
弓月は彼女と縁があり、一緒にいた友でもあった。
日々、鍛錬と妖術の習得を肩を並べて、切磋琢磨していた数少ない友。
竹馬の友や親友とも言える間柄の彼女を殺せなかった。
生捕ということしかできなかったのだ。
「我の私情など、あの状況下で通用する訳がないというのに……反逆の罪に咎められ、魂と体を切り離された。それで済めば良かったのじゃが、一族もろとも流刑ときた」
弓月は湯呑に目を向けた。
まだ湯気が立っているお茶の中に茶柱が立っている。
政元もそれを見て、ハッとした。
こぼれない程の速さで湯呑みを掴み、湯呑の中を覗いた。
まさかと思いながら一口飲んだ。
「春芽、茶葉はいつものを入れたね?」
「は、はい……あ! ついうっかり、癖でいつも私たちが淹れている安い茶葉を!」
安い……もとい、それなりの茶葉には葉の茎が入っている事がある。
高級な茶葉も茶柱が立つ事はないとは言い切れないにしても、普段から政元たちが飲むお茶は茶葉の選別が荒い物を飲んでいた。
淹れるたび茶柱が立つ事はないにしても、客人へ出す物ではない。
しかも、白犬妖怪である三人にしてみれば、この村を貰い受け、守り継ぐ事ができているのは黒狼妖怪頭首であった弓月のおかげであり、敬うべき客人なのだ。
そんな客人に粗茶を出すのは無礼と言える。
「いまから、いれなおします」
春芽が慌てて立ちあがろうとすると、弓月は手のひらを見せた。
「それには及ばん。むしろ、縁起が良いではないか! 悪い事もそう長くは続かんという事じゃ。それにさっき口にした時に気づいておったしな。ま、我の舌は当てにならんがの」
湯呑みを手に取ると、運気を飲むように茶柱ごとお茶を喉を鳴らしながら一気に飲み干した。
湯呑みを勢いよく茶皿において、腕組みをする。
左肩にくっついていた蒼も離れて、ふよふよと浮いている。
「何にせよ! 茶柱が立っていたという事は我が目論見も上手くいくじゃろう! かっかっかっ!」
「という事は、時は満ちたと」
弓月の笑い声に釣られ、政元も笑みを浮かべる。
蒼も嬉しそうに横揺れした。
「うむ、今度こそ終わらせる。憎き妖術の根元を絶つ! そのために我らは三百年もの間、力を蓄えたのじゃからな。この国を旅して、より確実なものとして見せよう」
そう言い終わった弓月の目は切長になり、赤い眼が光った。
その眼は、赤い刀のように鈍く鋭かった。
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