引き続き彼の身体のリハビリは次の段階へ上がった。
食べ物は徐々に咀嚼が必要なものになり、リンネとの会話も初級魔術や亜人種の種類の話などが話題に出てくるようになった。
話題によっては、彼が頭痛を訴え中断する場面もあり、そういう時は落ち着くまでベッドで横になったりもした。
身体の柔軟は毎日朝昼晩と欠かさずに、ベッドから離れて、壁伝いに歩く練習をしていた。
「本当なら外に出て、陽の光を浴びながら身体を動かすのが良いんだけど」
「仕方ないです。僕の立場上、ここから出る訳には行きませんから」
歩く練習の時は、補助としてリンネも付き添う。
歩くだけではなく、こうして話しながらの方が頭の刺激になって良いとリンネは言う。
ただ、彼を一人で歩かせるには早く、付き添う口実にしていたのだ。
「こう見えて、ワタシは強いのよ。だから、少しくらい外に連れ出すくらいはできるんだけど?」
「いえ、大丈夫です。まだ壁伝いにしか歩けないのに、もし、あの時の敵に出会ってしまうかと思うと怖い」
壁伝いに一歩ずつ歩いていた足が止まる。
自分の影が落ちる床に視線を落とした。
両親に守ってもらった時よりも、身体も心も弱くなってしまった自分を情けなく感じていた。
こうして、足を止めて俯くだけでリンネも心配そうに視線を向けてくる。
そんな自分に惨めさも感じた。
幼くして両親を亡くし、身寄りのなくなった自分がちっぽけで弱い事に苛立ちも感じていた。
「強くなりたいです。その為には今、外に出る必要はない。誰かに守られたくない。一人で戦えるようになってから外に出ます」
彼の抱いていた気持ちが言葉として、自分の口から出たことに彼自身が一番驚いていた。
彼女も驚いたが、すぐに目を細めて優しく頭を撫で始めた。
「そっかそっか、それならこの話は独り立ちできる時に話す事にするわね。シグくんの気持ちが一番大事だもの」
「シグくん……?」
「そう。ユグシア=フェル=アグゼミド、アグゼミリア王国第一王子のユグシア王子ではなく、ただのシグくん。名前を尋ねられたら、シグと名乗りなさい」
「ですが、それでは、お父様やお母様、アグゼミリアの国民達の無念はどう晴らせば……」
「あら? 壁伝いでしか歩けない子供がそんな大層な事が言える立場かしら?」
馬鹿にするような物言いで、口を隠して言い寄ってくるリンネ。
彼は少し苛立ちを抱えたが、次の一言で消えた。
「それはシグくんが王として自覚し、守るべきものの為に力を振るう事ができた時に考えること。今は強くならなくちゃ」
父親の言葉が頭をよぎった。
髪を紅く染めて魔術を使い、敵を倒す父の勇姿はこの目に焼き付いていた。
あんな時でも彼は両親に憧れ、胸を高鳴らせていたのを思い出した。
「シグくん?」
遠くを見やるシグにリンネは、おーい!と手を振る。
すぐに目線はリンネに戻り、気持ち血色の良くなった表情と目からは生気が感じられる。
「わかりました、師匠! 僕、強くなります!」
「ふふ、よろしい。でも、師匠じゃなくて、リンネお姉ちゃんでも良いのよ?」
リンネからの提案にニヤリと笑って。
「いえ、師匠と呼ばせてもらいます」
「えぇ〜……な、なら、壁伝いで歩く時には付き添わないよ? それでも良いのかな〜?」
「壁があれば、大丈夫なのでお気になさらず」
「ワタシが気にかけてるのわかってるくせに〜!」
そんな子供じみたやりとりをしながらもベッドに戻るまで「リンネお姉ちゃん」と呼ばせようとしてくるリンネに呆れていた。
「シグくん、案外頑固なのね。優しさとか助けてくれた恩とかで呼んでくれると思ったのに」
「感謝はしてますけど、それとこれとは話が違うかと。それに教えを乞う方にその呼び方は親しみが強すぎます」
「ワタシはそれで良いって言ってるのに! なんなら、そう呼んでもらった方がモチベーションが上がって、シグくんを更なる高みへと誘える自信があるわよ? どう? 今からでも「リンネお姉ちゃん」って呼んでみない?」
「僕は師匠の妹みたいに甘くないですよ。それに血がそもそも繋がっていないのにそう呼ばれて嬉しいんですか?」
「嬉しいわよ! もうシグくんはワタシの弟だと思ってるから何も問題ないわね! だから、ほら!」
「そう思ってもらうのは嬉しいですが、呼びません」
「そんな〜」
床にぺたりと座りこんだ。
掛け布団を涙で濡らすリンネをしばらく見ていると時折、ちらりちらりとシグを見てくる。
次は泣き落としを狙ってのことらしい。
しかも、掛け布団も濡れてないのを見る限り嘘泣きである。
どこまでもめげない自称姉にため息をついた。
「今日はたくさん色々と頑張ったのでもう寝ます。そういえば、師匠はどこで寝ているんですか?」
「そりゃ、寝静まったシグくんの横に潜り込んで寝てたわよ」
頭を起こしたリンネはそんな事を口走る。
それにはシグも絶句して、身の危険すら感じていた。
「う、嘘嘘。横にもう一つ部屋があってね。そこにもベッドがあるからそこで寝てるのよ? シグくんは見てないけど、ちゃんとあるの。断じて、シグくんの体調が心配だからとは言え、同じベッドで寝てた訳じゃないのよ?」
立ち上がったリンネはスラスラと淀みなくそう捲し立てる。
シグは疑いの目でリンネをじとりと見据えた。
体調が心配だったのは間違いないだろうが、他はどうも嘘くさい。
「本当ですか?」
「ホントホント! なんなら、シグくんの寝顔は見てないし」
「いや、それは嘘でしょ……」
とシグが見え見えの嘘に突っ込むと、リンネは両頬に手を添えて、モジモジとしながら滔々と口を滑らせていった。
「寝ながらにワタシに擦り寄ってきてくれるシグくんが可愛いとか、寝ている時に頭を撫でてあげると寝ているのに微笑んでくれるのが最高に愛おしいとか、そんな嬉し恥ずかしエピソードを自分のものだけにしたいなんて、そんな事は〜……ハッ!」
思っていた事をついつい口走ってしまった事に遅ればせながら気がついたリンネはゆっくりとシグを見ると。
「……」
魔力を練り上げ、その流動のせいで伸びていた髪を唸らせているシグがいた。
リンネを見る目は親の仇を見るようなものへと変わっていた。
「シ、シグくん! 落ち着いて! ワタシは何もやましいことはしてないし、ただ……そう! 心配だったのよ! あと、ワタシも看病とは言え寝なくちゃ! ワタシまで体調を崩す訳には行かないじゃない? だから……」
「本当は一緒に寝てたってことですよね?」
「そ、そうです」
「本当に僕の事を心配しての事だったんですよね?」
「ま、間違いないわ」
「……なら、許します」
「よ、良かった」
「僕はこうして元気になったので、別の部屋で寝るのは問題ありませんね」
「え」
「今日から別の部屋で寝てください、師匠」
「いや、それがその……」
「別の部屋で寝てください、師匠」
「わ、わかりました」
「では、おやすみなさい、師匠」
「……おやすみなさい、シグくん」
今更、別の部屋はあったとしてもベッドがない可能性を言うわけにもいかず、リンネは部屋を渋々と出て行かざる負えなかった。
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