第十二話 腹が減ってはなんとやら

 

 目覚める時のような微睡まどろみを感じながら薄く目を開けた。
 視界がぼやけて、身体から少しだるさも感じる。
 そのおかげで自然とまぶたが降りてきた。

「……そうか、身体に戻ったのか。にしても……」

 なんだか心地が良い。
 まるで干したての布団の上にいるような安らぎがあって、顔と手には何にも耐え難い温かく柔らかい枕の感触がある。
 ついつい、顔を埋めて、みしだいてしまう……。

「んあっ!」

 布団と思われていたものから女性があえぐような声がれた。
 それを聞いて、慌ててあおは身体を起こした。
 そこには白い長髪に白い狼耳おおかみみみの女性が横たわっていたのだ。

「アンタは誰だ?」
「答えたいのは山々なのですが、その……苦しいので、手を退けて貰えますか?」
「……え? あ! す、すまない! これは、寝ぼけていたというかなんというか!」

 蒼は、その女性の豊満ほうまんな胸へと体重を乗せていた手をあわてて退けた。
 女性の身体にさわる事に慣れているわけがない蒼は、顔を赤くしながら、狼狽うろたえてしまう。
 本当なら女性に対して、馬乗りになっている現状も改めるべきだが、そこまでに気すら回らなくなっている。

「ふふ、そうですね。私も乗り移られていたのでわかります。となると、貴方あなたがお姉様の……弓月ゆみづきの御子孫ですか?」
「そ、そうだが、なんで弓月の事を……それにその耳は……むぐっ!?」

 女性は、色々の考えが追いついていない蒼の手を取り、また再び引っ張り倒し、再び豊満な胸へと頭を埋めさせた。

「やっぱりそうなんですねぇ! しかも、お姉様によく似てますね! 私、お姉様が大好きで、男性の身体に変化してほしいとせがんだ時があるんです! その時に見たお姿にそっくり! 本当の姿もきっと似ているに違いないわ〜! あ、そうだ! お名前はなんて言うの?」
「あ……蒼」
「蒼くん……っ! 良いお名前でちゅね〜! さっき、お胸を恋しそうに揉んでまちたね〜? 白蘭びゃくらんお姉さんのお乳、飲みまちゅか〜?」
「むぐぐぅ!!」

 その白蘭お姉さんの豊満な胸に顔を埋められながら、首を振り、なんとか抱きしめてくる腕から逃げようとする。

「ひゃあ、そんなに胸の中で熱い吐息を掛けられるとお姉さんっ! ……あ、あれ、蒼くん?」

 が、その腕から逃れる事はできず、あろう事か、息も続く事なく、そこで蒼の意識は遠のいていった。

―――・―――・―――

『弓月の事、お願いね』

 蒼は、人魂の時に薄紫色うすむらさきいろの髪の女性にそう言われた事を思い出した。
 故郷の皆と同じような事を。
 ただ、故郷の皆よりもさらに心のこもった切ない願いのように感じられた。

「うーん……ここは?」

 気づくと、今度こそ本物の布団に横になっていた。
 掛け布団もかけられている蒼は体を起こす事なく、辺りを見た。
 薄板の天井に畳、なんて事ない和室である。
 人は居ないが、広い和室に蒼だけなのは違和感でしかない。

「なんで、俺は寝て……はっ! さっきの人は!?」

 慌てて体を起こして、枕元と足元、辺りを見ても誰も居ない。
 蒼は危険がない事に胸を撫で下ろした。
 その甲斐かいあって、なんで寝ていたのかを思い出した。
 気持ちは良かったが、まさか窒息ちっそくして気を失うとは情けない。
 弓月が妖力不足で眠っていなければ、こっぴどく怒られたに違いない。
 そう思い、蒼は肩をふるわせた。

「それにしても、広いな。……着替えもされてるし」

 この和室が六十畳程ある事に驚いた。
 それに部屋には何も置かれていなければ、ふすまで囲まれている部屋だ。
 自分の身体を見下ろすと淡い灰色の着物を着せられている。
 流石にここまでの道のりで着ていた着物とはかまのままでは布団も汚れてしまう。
 着替えさせられるのは仕方ないか。
 そう思っていると、蒼から見て正面の襖が開いた。
 開いた襖からあわ橙色たいだいいろの光が入ってきた。
 どうやら夕暮れ時も近くなってきているようだ。
 廊下には、襖を開けたであろう正座の男性と御膳ごぜんを持った女性がいた。
 男性よりも先に女性が中に入り、男性も立ち上がって中に入ってきた。
 お膳を持った女性は門前で蒼を抱きしめて窒息させた白蘭。
 男性は目を隠すために鉢巻はちまきを巻いていた。
 白蘭と同じで頭には白い狼耳、後ろには白い尻尾がある。
 二人とも蒼と同じく淡い灰色の着物を着ている。

「蒼くん! 目が覚めたのね、良かった! 今、ご飯とお味噌汁を持ってくるからゆっくりしててね」
「あ、ありがとう……」

 蒼は、その男性を怪訝けげんそうに見ていると、白蘭から声を掛けられ、少し強張りながら返事をした。
 その返事に白蘭は微笑むと、御膳ごぜんを置いた。
 そのお膳には、皿に盛り付けられた焼き魚と小皿にのった漬物が乗っている。
 蒼がおかずを眺めている間に、開けたままにしてある襖から白蘭は出て行った。
 目隠しの男性は御膳ごぜんから離れた正面に正座で座っている。

「蒼くん、つまがすまなかったね」
「……妻?」
「はい、妻が窒息させてしまったと聞いたので、いつもはそんな事をしないのですが……。そんな事より、まずは、私たちの自己紹介からの方が良さそうですね。妻のせいで相当混乱しているようだ」

 頭が付いてこない蒼は、瞬きも忘れて固まっている。
 何も話さなくなった蒼に少し困りながら男性は指で頬を掻かいた。
 蒼が固まるのも無理はない。
 出会いがしらに熱い抱擁ほうようを受け、大人の女性の免疫めんえきの無さと言う訳ではなく、窒息で気絶をした。
 目が覚めれば、当然のようにご飯の準備をされており、見知らぬ男性は白蘭の夫という。
 しかも、目を隠しているにも関わらず、蒼の目を合わせているように話しているのだから。
 聞きたいことがありすぎるせいで、反応できたのは二人が夫婦であるという事実を飲み込むしかできないなんとも不器用な形になってしまったのだ。
 人妻とあろう者が、夫ではない他の男にあんな事をしても大丈夫なのだろうか、いや、駄目だろ、なんかあの人怖い。
 と蒼の頭の中でトラウマみたものが形成されつつある中。

「あ、コウさん! 抜け駆けはずるいですよ! 私だって蒼くんとお話ししたいのに!」

 開けたままの襖から大きめのお盆を持った白蘭が入ってきた。
 蒼は、その声にびくりと身体を震わせて、なんとか動けるようになった。
 お盆の上にはおひつ、裏返しのお茶碗に木製のお椀が乗っている。

「白蘭……いい大人が子供みたいに文句を言うんじゃありません。そんなに動くとお味噌汁がこぼれますよ」
「子供ではないので、こぼしたりしませんよ! そんな事したらお腹ペコペコの蒼くんが可哀想じゃないですか! ね、蒼きゅん♡」

 コウさんと呼ばれた男性と話しながら、お膳へお味噌汁を置いた。
 味噌汁から味噌の香りが湯気とともに立っている。
 もちろん、ちゃんとお盆の上にお味噌汁は溢れていなかった。
 畳の上に置いたおひつを開けると、炊きたてであろうご飯がほわりと心の落ち着く匂いを立てた。
 それをお茶碗にご飯をこんもりと盛り、お膳に置くと、蒼に向かってびるように目をとろけさせながら白蘭が顔を近づけてきた。

「べ、別にお腹は空いてる訳じゃ……」
(ぐーっ)

 そう白蘭に言い寄られて、身の危険を感じて、蒼は後ろへと距離を置いた。
 それでも、身体は素直な事にご飯の匂いのせいでお腹を鳴らしてしまった。
蒼にはまだ、花より団子なのは間違いない。

「身体は正直ですね。ご飯よりも私を、あたっ」
「それぐらいにしなさい。それ以上すると私からも蒼くんからも嫌われますよ」
「なら、自重します……」

 夫に頭を軽く叩かれて、白蘭は蒼から離れ、しゅんと白い狼耳を畳んで、白い尻尾を丸めた。
 ちょっとくらい良いじゃないですかと呟いてもいたが、夫の咳払いに一瞬、狼耳と尻尾を跳ねさせていた。

「蒼くん。こんな妻ですが、悪気はないので許してあげてください」
「……わ、わかった」

 蒼は布団の上で正座に座り直した。
 少し白蘭の動きを警戒してか、横目でチラチラと見た。

「自己紹介がだいぶ遅れましたが、私は白狼妖怪はくろうようかい皓月こうげつ。こっちも同じく白狼妖怪で妻の白蘭。これからよろしくお願いします、蒼くん」

 皓月の目元はわからないが、口元がほころんでいる。

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