黒狼記 壱 妖怪の先祖と旅をするそうです      

黒狼記

作者:蓮木ましろ

第一話 三度笠と縞合羽

 空にぼんやりと橙色だいだいいろが差し始める頃。
 波が穏やかな海の上にイカダが一隻。
 帆をなびかせ進んでいた。
 丸太で組まれたイカダの上には一人だけ。
 帆柱ほばしらに左手を添えて、胡座あぐらをかいている。
 頭に三度笠を被っているせいで顔は見えず、体は縞合羽で隠れているせいで性別がわからない。
 死んでいるか、生きているのか分からない程、静かに座っていた。
 そんなイカダが海を滑るように進んでいくと、浜辺が見えてきた。
 それに気づいたのか。
 四つん這いで帆を避けて、帆の前で立ち上がった。
 その立ち姿からすると男である。
 三度笠を軽く左手で上げて、青みがかった瞳を浜辺へと向けた。

「誰か居るな……」

 その視線の先には浜辺で焚き火をする人がいた。
 その人がイカダに気づくと慌てて、灯りのついている古屋こやへと駆け込んだ。
 古屋の中でいくつかの影が動き回っているのを見ていると。
 わらわらと十二人も浜辺へと溢れ出てきたではないか。
 すそそでもボロボロで薄絹の汚れた着物を着た男ばかりでどう見ても身なりも悪ければ、柄も悪い。
 しかも、全員が武器を持っており、イカダに向かって臨戦態勢りんせんたいせいをとってきた。
 どうやら、暖かく出迎えてくれる雰囲気は微塵みじんもなさそうだ。

ぞくか……初めて見るな」

 賊と言うと、他人の物を盗んだり、奪ったり、必要とあらば、人攫ひとさらいや人殺ひとごろしをやってのける物騒な連中である。
 そんな連中を物珍しく暢気のんきに眺めるイカダの男に容赦なく、賊たちは弓を引き始めた。
 無理もない。
 金目の物があるかはともかく、賊の目の前に無用心なイカダが現れたとなれば、狙われない訳がない。
 抜きん出て大柄で、あおかろう髪から覗くおでこには二つの角がある賊。
 鬼であろうその賊が合図を出して、矢を射らせた。
 数は6本。
 しかも、陸から海へと吹く陸風りくかぜを受けて、矢はイカダの男へと勢いを増して飛んでいく。
 だが、矢はイカダの前で向かい風にあおられ、失速し、届かずに海へと落ちていった。
 その有様に驚き焦って、さらに矢を射るもまた届かない。
 考えてみれば、わかる事である。
 イカダの帆は浜辺へとなびき、かつ、進んでいるという事は、自然現象である陸風とは逆の風が吹いている。
 矢を射る前におかしいと思えただろうに。
 浜辺の賊たちは存外、阿保なのかもしれない。

「風も操れる俺を矢で狙っても、無駄なのに……」

 イカダの男は縞合羽から長手甲ちょうしゅこうを身につけた右腕を出して、手のひらを浜辺へ向けた。
 その仕草を見て、合図を出していた鬼が仲間の弓手から弓と矢を奪い、力一杯に矢を引く。
 そこから射られた矢は風を切るように彼の頭へと一直線へと飛んだ。
 イカダの男が起こしている逆風を受けても、なお勢いが衰える事はなく、飛んでくる。
 矢自体に妖力を込め射たようである。

「面白い事してくれる。なら……」

 イカダの男はそれを見て、矢へと手のひらを向けた。
 右腕からは煙が出始め、ふつふつと発火し始めていた。
 そして、手のひらから真っ赤で猛々しい炎が一気に噴き出た。
 炎は飛んでくる矢を飲み込み、矢がイカダの男の頭へと到達する頃には、黒い灰となって、そよ風のように彼の髪を優しく撫でた。
 炎を消した後、賊たちを睨みつけ、浜辺に向けて、再び炎を放つ。
 操っている風に煽られ、炎は勢いを増したが、浜辺の賊達に当たる事はなかった。
 しかし、その力に恐れをなした賊たちは。

「ば、化けもんだ!」
「鬼のお頭よりもおっかねぇ!」
「ちっ! 野郎どもずらかるぞ!」

 怯えた声も上げながら陸の方へと走り逃げていった。
 そんな声を聞いて、炎を消して、しばらく様子を見たが、だまし打ちもなさそうだ。
 右腕を軽く払って、腕の火を消した。

「やれやれ、本州への上陸はもっと穏やかにしたかったのにな。やっぱ、最初から出してた方がいいか?」

 右腕を縞合羽にしまうと、三度笠から髪の色と同じ黒い狼耳おおかみみみ、縞合羽からは癖っ毛のある大きな尻尾が顔を出した。
 三度笠にはあらかじめ耳の位置に穴が空いていたようであった。
 人間の姿であったから、あんなちょっかいをうけるのならいっそ、分かりやすく元の姿に少し近づけた姿でいれば、幾分はマシだろう。
 そう考えたようだ。

「とりあえず、安全になった浜辺にイカダを着けるとするか。弓月ゆみづきもそれが良いと思うだろ?」

 そう言うと、彼の右肩に黒い人魂ひとだまが現れた。
 人魂は、彼の頭の周りをぐるりと一周回って、右肩で消えた。
 それは「構わない」という意思表示だったようで、彼は頷いて、イカダを進ませる。
 日の出を浴びる海は輝き、浜辺へと向かう彼の顔も晴れやかで、これからの見知らぬ土地での旅に心を踊らせていた。

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