「承りました。その件は私の方で進めておきます」
上司から仕事を振られるのは当たり前で。
「この案件はお前に頼もうと思うんだ。なに、お前ならやれるさ」
その仕事を頑張り盛りの部下へと振る。
「心配する事はない。お前のやれるだけをやってみてほしい……すまん、相談なら乗るからやってみてくれ。お世話になっております」
仕事を振る事で自分の仕事もこなしていかなければ、立ち行かないのも当たり前。
「申し訳ありません。この度は部下が至らないばかりで……」
部下の為に頭を下げるのは上司である俺の仕事であり。
「なに。次、頑張ればいいさ! お前なりに頑張ったんだ、胸を張れ! みんながみんな、最初から上手くいったら上司なんていらないんだ」
と部下を美味い飯と酒で慰める。
もちろん、代金は上司の俺持ちだ。
他に出ていく先もない金の使い道にはもってこいだ。
「……ふぅ、明日は上司に説明しないとなぁ。まぁ、仕事なんて上手くいかないことばかりだ。上司だってわかってくれるだろ」
我が家の鍵を開けながら、ぼやく。
ドアを開くと我が家の奥は真っ暗で誰も待ってやいない。
独り身の俺にはこれも当たり前だ。
「……ただいま〜、疲れた……ひぃっ!」
靴を脱ごうと足元を見ると光るものが二つ、目についた。
それは閉まるドアの隙間から入った外灯の光が反射したように思えたが、その後もなお俺の事を見てきていた。
時折、見えなくなるがすぐに見える。
「あっ! ……何だお前か。驚かさないでくれよ〜、酔いが覚めちまったじゃねぇか」
「にゃーぉ」
俺が玄関の電気を付けると光る二つの正体がわかった。
最近、拾った猫だ。
柄がくっきりとしたアメリカンショートは玄関マットの上に丸くなって寝ていたようだ。
「何だ? 俺の事待っててくれたのか?」
そう言いながら、伸ばした手を嗅いできた。
クンクンと嗅ぐと口をあんぐり開けて、俺を見てきた。
「……そんなに臭かったか、俺の手」
自分でも嗅いでみたが、何ら臭さを感じなかった。
まぁ、人間よりも動物の方が臭いに敏感だからだろうな。
手を嗅ぐ俺をそっちのけで軽やかにリビングの方へと歩いていく。
リビングの開け放っていたドアの辺りで振り向いて、にゃーと鳴いてきた。
「はいはい、飯だな。ここまで遅くなるつもりはなかったんだが、急用ができてな」
「にゃー」
「だから、待ってろ、アメ。今から手洗いうがいするからよ」
雨が降る夜に家の近くで捨てられていたアメリカンショート。
雨の日に拾ったからと安直にもアメと名付けた。
拾った時は猫の飼い方を知らなかった俺だったが、色々と調べて、飼い主登録も予防接種も去勢も終えている。
去勢した後は随分と距離を置かれたが、今ではこうして玄関マットの上で俺が帰ってくるのを待ってくれるまで仲を取り戻せた。
酷い時は近寄るだけで、ふしゃーって威嚇されたのは流石に傷ついたがな。
「ほら、遅くなって悪かったよ。……全く、あっちからキャットフードが出てるのになんで食べないんだ」
自動でキャットフードが出る便利アイテムを置いているのに食べている所を見た事がない。
いや、録画のでは食べてるとこは見たことあったな。
部屋はもともと、必要最低限のものしかなかったからいつでも受け入れ可能だった。
このマンションもペット可の物件だったのも功を奏して、引越しせずにアメを飼うことにした。
今思えば、アメのためにとキャットタワーにトイレマット置き場に見守りカメラまで買い揃えてある。
自動餌やり機もちゃんとある。
昼はあそこから出たものを食べてくれてるが、朝晩は俺が出したものしか食べようとしないのはアメなりのこだわりなんだろう。
晩も出ないように設定しとかないとな。
そんなこんなでリビングはすでに猫様のテリトリーとなっている。
まぁ、平日は仕事で居ないし、居たとしても疲れを取るために寝て過ごしてるから特段困りはしない。
少し虚しさはあるが。
「にゃ〜」
「慰めてくれるのか、ありがとよ。……ってすぐ飯がっついてる辺り、ご飯ありがとってとこか〜?」
そう言ってもキャットフードをがっついている猫から返事はなかった。
「さてと、俺も風呂入って、歯〜磨いて寝るとするかな」
いつまでもスーツ姿というわけにもいかない。
今になって居酒屋の匂いを自覚し始めていた。
料理の匂いだのタバコの匂いだのがまとわりついているのに気づいて、ファブってから干した。
そこから寝る支度を淡々とこなして、ベッドへ辿り着く。
「明日は明日の風が吹く、しっかり休めれば何事もうまくいく……」
今日は上手くいかなかったそれだけの話だ。
そんな事を独りごちっているとアメも枕元にやってきた。
アメのために枕元には寝床があって、なんだかんだと俺の側で寝てくれる。
去勢した日は流石に来なかったが、ふしゃーっと威嚇された時は起きた時には寝ていた。
なんだかんだと懐いてくれていることに嬉しさを感じた。
「今日は遅くなって悪かったな」
「にゃっ」
軽く撫でてやると軽く鳴いてくれた。
許すとでも言っているような気がして、顔が綻んだ。
「おやすみ」
手を布団の中へと入れて目を瞑った。
流石に返事はなかったが、アメの寝息が聞こえてきていた。
待っている間、寝ていたとはいえ眠かったようだ。
そんなアメの寝息を聞きながら意識は遠のいていった。
•――•――•
「今日は風が強いからあの場所に行こっと」
少年はランドセルを二階にある自分の部屋へ置いてからまた外へ出かける。
少年には親友と呼べる友達がいたのだが、今日この時は約束していた。
通っている学校から子供の足で徒歩十分ほどで着く家の戸締りをして、少年は走って出掛けていく。
行き先は学校よりも近いお気に入りの場所。
歩いて三十秒、走れば十秒で着く河川敷。
これまた近くには道端の狭い橋があり、橋下のコンクリートの柱。
そこには川の流れのせいで滞留した土砂や石があり、安全に行き来できるようになっていた。
草も生えていたり、虫も居たのだが、少年は親友と共に遊び場としていたこともあり、慣れっこだった。
石がもろに見えていてかつ、乾いていようものならズカズカと勇足に入っていく程だ。
「着いた。今日も風が気持ちいい〜」
そんな少年のお気に入りの場所は、さっきも言ったが、橋下のコンクリートの柱。
ちょうど地面と接してより土台として揺るがないようにされている柱の根元部分。
そこは子供にとっては狭くない足場であった。
川の三分一の付近まで水に濡れずに立ち入れる。
そんなお気に入りの場所で少年は何かをするでもなく、過ごすのが好きだった。
時に流れる水の中を眺めて、魚を観察したり。
時に強い風を身体で受けながら「おーっ」と言ってみたり。
時に、風の流れとは逆に流れていく水の流れを不思議に思ったり。
目を瞑って、水のせせらぎや耳元で暴れる風の音、河原に立ち並ぶ桜の葉が風で擦れる音などを楽しんだ。
そんな何気ない事を楽しむのが少年は好きだった。
辛い事や楽しい事があった時も、この頃は知らない嫌な事があった時もここへ来て別れを告げてから去った。
「さてと、もう帰ろっかな」
いつだって、少年はその場に言い残して帰るのが定番。
満足したり、足がしんどくなった時にもそう言って家へと帰っていく。
走って帰る時もあれば、歩いて帰る日もあった。
今日は後者のようだ。
河川敷から階段で上がってくると、サイクリングロードとして舗装された道があり、それを渡ると家のある通りへと出る。
少ない段数の階段を降りると左斜め前に家がある。
それを眺めてから正面を見ると、白い猫がいた。
「……なんか見たことあるような……」
少年がそう呟くと、猫が歩いてくる。
だが、その猫は近づくにつれてみるみると大きくなっていった。
「え、ちょっと待って!?」
それはもう少年を見下ろすほどに大きくなった猫が少年の前で座り、ホッと少年が胸を撫で下ろした瞬間。
「うわぁ〜!! むぐぐぅ〜! ぐるじぃ〜!」
大きくなった白い猫が倒れかかってきて、少年は逃げる事ができずに柔らかい腹のお肉と毛に押しつぶされた。
もがいて逃げ出そうとするが、それは叶わずにどんどんと息も出来なくなり意識が遠のきかけた時にどことなく目覚ましの音が聞こえた気がしていた。
•――•――•
「ぶぅわあ!! 死ぬ!!」
俺は目を覚ますと同時に体も起こした。
肩を揺らしながら、息を吸う。
薄らと汗ばんだ顔を右手で拭いながらスマホのアラームを止めた。
「なんつぅ夢だ! 懐かしかったのに最後があれとか……ん?」
起こした身体と一緒に捲れたのだろう布団がモゾモゾと動いているのが目に入った。
その布団を退けるとアメが包まっていたのであった。
「なんで、お前そんなとこにいるんだよ……あ、お前、俺の顔の上に乗ってただろ! 腹から俺の顔にダイブしてただろ」
「にゃ〜お!」
「なんだ、その不機嫌そうな顔は! 起こしてやったのにみたいなその態度は! もうちょっと起こし方を考えてだな!? いや、ちょっと待て、今何時だ!?」
アメに起こされたからこそ仕事に遅刻はしなかったが、アメにご飯をあげるだけあげて、俺は朝ごはん抜きになった。
起こしてくれるのはありがたいが、起こし方はもっと優しく起こしてほしいもんだ。
せっかくの懐かしい夢が台無しだ。
まあ、上司への報告もうまくいったし、良いことにするか。
(腹が減ったな……仕事に集中して昼まで耐えるしかないか)

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