第六話 治癒 と お礼

 

「なんてこった、本当に治っとる……」

 虚無僧きょむそうは首をさわりながらつぶやいた。
 椿つばきが治癒の妖術をほどこしてから半刻程で治した。

「治ってよかったです。ちょっと疲れちゃいました」
「ようやってくれたの。して、虚無僧よ」

 椿にねぎらいの言葉をかけて、まだ信じられないようにしている虚無僧へと話しかけた。
 すると、虚無僧は少しお待ちをと待ったをかけた。
 この虚無僧、礼儀を重んじるたちのようで立ち上がり身なりを整え、正座しょうざへ座り直し、天蓋てんがいを脱ぎ、使い古された敷物の上に置いた。
 せこけた顔をさらした虚無僧は歳半ばの男であった。
 弓月ゆみづきと椿の顔を見た後、ゆっくりとおでこを敷物につけた。

「治して頂きありがとうございまするっ。あのままでは物は言えず、食べる事もできずにのたれ死んでいた事でありましょう。この御恩は一生忘れる事はありませぬ。拙僧せっそうにできる事でありましたらば、何なりとおっしゃってくださいませ」

 土下座をされた椿はあわあわと慌て、弓月も少し目を見開いていた。

「あ、頭を上げてください。そんな大した事はしてませんから」
「いやいや、これほどまでに拙僧は助けられたというだけの事。薬師やくしがこれは無理だと言われた時に死ぬ覚悟をしましたが、自害する事もできずに出家したのでございます。声は出せず、食は水やかゆを溶いたものしか飲めない。行脚中あんぎゃちゅうに死ねればと無理に出てきて虚無僧をしておりました。そしたら、まさかこんな幸運に出会えるとは……誰も思いますまいて」

 土下座のままにそう言う虚無僧は身体をふるわせていた。
 椿は依然として慌て、弓月を見ると咳払いを一つ。

「お主がそうしておると、我らが何か良からぬ事をしたように見えるじゃろう。だから、面をあげよ」
「そ、それは確かに。拙僧とした事が失礼な事を」

 顔を上げる前に袖で顔を拭った。
 おでこと目が赤らんでいた。

「ふむ。我らが尋ねたいのは一つだけじゃ。さっき言ったように九尾きゅうびにまつわる伝承や言い伝えがないかという事。それを教えてくれれば、十二分に助かる。教えてくれるかの?」
「はい、わかりました! 拙僧が知るだけの事を全てお話し致しましょうぞ!」

 虚無僧はまた少し身なりを整えて語り出した。
 
 今日に至るより遥か三百年程前。
 この国、大和国全域で起きた大乱『生骸大乱せいがいのたいらん』が終わり、五年程が経った頃でございます。
 その頃から平穏京の建立こんりゅうが始まり、人間や妖怪が協力し合い築き上げていきました。
 けれども、この時、もう一つ建立され始めた神社がございました。
 その神社は、伏見九ノ峰大社ふしみくのみねたいしゃといい。
 伏見にある九つの峰がある変わった山に建てられました。
 先程、拙僧が指差した山。
 あれが九ノ峰山くのみねやまでございます。
 そこに建てられた大社もその九つの峰、その一つ一つに社を設けており、それにあやかってなのか九尾を奉っております。
 参拝される者には五穀豊穣ごこくほうじょう商売繁盛しょうばいはんじょうのご利益があるとされておりまする。
 ここまでは一見変わっていると思われても、普通の神社とあまり変わりはございません。
 ただ、この神社には他と変わった事がございました。
 九ノ峰山のふもとにある立派な本殿ほんでん
 そこへ向かう坂道に一つ立札たてふだかかげられておりました。

わらわに会えたのであれば、一つだけ願いを叶えよう』

 そう簡単簡潔に書かれてあったそうです。
 それが知れ渡るのは早く、そして、その大社にめいった人や妖怪の数知れず、大いに賑わいを見せました。
 我先にと願いを叶えて欲しさに集まってきたのでございましょう。
 しかし、誰一人としてその神、九尾様には会う事は叶わず。
 もちろん、誰も願いを叶えては貰えなかったようで。
 いつからか、あの立札は客寄せのためのものだと広まり、参拝者も足が遠のいていきました。
 あそこに寄りつく者は立札の事を面白半分でお参りする者か、行脚で訪れる者くらいになっております。

「これが拙僧が知る九ノ峰山。伏見九ノ峰大社の話にございます」

 ご清聴ありがとうございました、と言いたげに太腿ふとももに手を置いて会釈えしゃくをした。
 椿は口を軽くあけて、拍手をしている。

「ふむ、そういう事であったか。指差しただけであったからよく分からんかったが……なるほど、伏見九ノ峰大社」
「お役に立ちそうですかな?」
「多少はな。その立札には『妾』と書いてあったのは間違いないか?」
「聞いた話ではそうだと覚えておりますが、定かでは……」
「随分と前の話じゃから無理からぬことか」
「どうしますか、弓月さん?」
「他に当てもない。その大社へと向かうとするかの。その前に」

 弓月は背負っていた荷物を下ろして、少し荷を漁ると小さな銭袋を取り出した。

「虚無僧よ。端金はしたがねじゃが持っておれ」
「そ、そんな滅相もない。この身を治してくださったのにその上、金など貰ってはバチが当たりますっ!」
「そこまで礼儀をわきまえておるのなら、元は御偉方おえらがたの下で働いておったのであろう? それにお主は悪さをするように思えぬ。その日は今世一番に運が悪かったのじゃろう。これは歳半ばのお主を思っての金じゃ。今日は今世一番に運の良い日と思って、受け取ればよい」

 また小さな銭袋ぜにぶくろを差し出すと、震える手を受け皿のようにして差し出したので弓月はそこへ置いた。
 虚無僧は手に乗せられた銭袋を見ながら、涙を流し出した。

「ここまでお優しくされたのは生まれて二度目でございます……なんと言って良いのやら……ううっ」

 震え声でそういう虚無僧は右手で銭袋を握りしめながら左手で涙を拭っていた。

「その金で飯でも食って、その後にこれからのことでも考えるが良い。……して、一度目に優しくされたのは誰かの?」
「そりゃ、もちろん! おっかあに産んで育ててもらった事でさぁ!」

 嬉し涙を左腕でゴシゴシと拭き取った虚無僧は、元気にそう言ってのけた。
 
「かっかっかっ! それは違いないの!」
「ふふ、確かにそうですね」

 その言葉に弓月と椿は笑い、虚無僧も笑っていた。
 蒼も左肩で小刻みに揺れる。

「さて、我らは伏見九ノ峰大社に向かうかの」
「はい!」
「道中、お気をつけて」
「お主も達者でのう」

 弓月が荷物を背負い直し、元虚無僧の男に言った。
 椿も会釈すると、深々とした礼が返された。
 次なる目的地は九ノ峰山にある伏見九ノ峰大社。
 そう弓月と椿が足を向けた……

「お待ちくださいな」

 そんな時に待ったをかける声があった。

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