「遠巻きにこちらを見ていた割には随分とでしゃばるんじゃな」
引き留めていた声に対して、弓月は振り返らずに言う。
椿は振り返って、その声の主を見た。
白い狩衣と黒い袴を着こなし、白い烏帽子を被っている。
平穏貴族であるように見えるが、顔につけている白い狐面が邪魔をしている。
背丈は弓月よりも低く、椿よりも高いと言っっても成人男性にしては低く。
体型も小さく幼く感じられた。
「いやいや、この方ほどではありませんが、僕からも御三方にお礼をしなくてはなりませんので呼び止めたまで」
お面をしているにも関わらず凛とした声色。
それでいて、声からもやはり少し幼さを感じさせた。
ゆっくりした足取りで弓月と椿に近づく。
「怪しい奴に礼をされるような事はしておらんがの?」
用心のためにと振り返った。
人魂の蒼も含めて、「御三方」と言ったように思える狐面の男はどうも怪しい。
「それにこれから伏見九ノ峰大社へ向かわれるなら、これもお持ち頂きたく存じ上げます」
歩み寄りながら、袖口へと右手を入れて、手探りで何かを取り出そうとしている。
「ほう? その言い分じゃと、礼というよりもお願い事のように聞こえるが?」
椿を引き寄せて、自分の後ろへと隠すように歩み出た。
何を出してくるかわからない。
袖口に仕舞える物など知れているが、用心するに越したことはない。
「確かに。少し言い方を間違えました。きっとお役に立てるので、お納めくださいませ」
お互いに手渡しのできる距離まで近づくと、狐面の男は竹皮で編まれた包みを二つ取り出した。
どう見ても袖口に忍ばせる事は出来そうにない大きさであったが、それらを弓月へと差し出してきた。
「これは何が入っておるんじゃ?」
「なかなか手に入らない稲荷寿司というものです。あの大社の神様はこれが大好物と風の噂で聴きましたのでお供えして頂ければと」
差し出したままにそう言ってくる狐面の男に怪訝な目を向ける弓月は仕方なく受け取ることにした。
受け取ってみるとそれなりに重く。
袖口に忍ばせるのはさらに難しいだろうと感じざるを得なかった。
怪しいものではないでしょ?と、言いたげに狐面の男は肩を弾ませた。
「僕があちらへ向かおうと思い、出てみれば人助けをする御三方を見かけまして。これをお礼としてお渡しする方が良いと考えましてね。あ、一包みは麓の大社に住まう方にお渡しください。もう一つは、中に九つ入っています。九つの峰の社へ一つずつお供えいただければ、決して食べてはいけませんよ」
それを聞いて、弓月はさらに眉間の皺を深くした。
礼にしては指図が多すぎる。
礼ならば、もらったこちらとしては好きにしていいはずと。、
「……これは礼ではなかったかの?」
「いやいや、御礼ですとも。食べるだけでももちろん、美味しいのですが、そうして頂けるとさらに良い事があると言うだけで御座います〜」
さっきまでの怪しさはなりを潜めてきた。
ただ、馴れ馴れしさが顕著に感じられるくらいになった。
受ける印象はやはり、怪しい事には変わりないが。
「わかった。ついでじゃ、お主の名を聞いておこう。名乗れぬ者の言葉など信用できんからの」
「名乗る程の者ではないと言うか、名乗るとちょっとこっちが困ると言いますか……」
「なら、これはここで捨て置く事にしよう」
「わ、わかりました! ちょっと待ってください」
なんて名乗ろうか……せっかく作ったのに捨てられるなんて辛いし……うーん……と腕組みしながら独り言を呟く。
その態度に軽くため息をつく弓月。
後ろでに居た椿が顔を出して、あーでもないこーでもないと呟く狐面の男を見ていた。
「なんだか、変わった人ですね」
「怪しい事この上ない。元虚無僧よ、この者を知っとるか?」
「いえ、知らない人で……いや、待てよ。どこかで聞いた声のような……うぐっ」
「あーっと! 貴方はこれ以上話さないでくださいね!」
そう言って、元虚無僧の口を塞いだ。
手を退けるとその口には札が貼られている。
模様のように書き込まれた文字に囲まれるように「禁」と書かれている札である。
元虚無僧は話す事も出来ず、剥がそうとしても剥がすことができずに居た。
「全く。人の素性を勝手に明かそうとするからそういう事になるんですよ。まぁ、僕はあんな手荒い真似はしませんし、ここまで緩い事もしませんがね」
それを聞いて、元虚無僧が大声で何か言おうとしたが、口が塞がれているせいで言葉になっていなかった。
「其奴の事情を知っているような口ぶりじゃな」
「えぇ、知っておりますとも。ただ、この方から話を聴かせて貰わなければ、確証は持てませんが……当たらず遠からずという所でしょう。貴方の事も聴き及んでおりますよ。黒狼妖怪の弓月様……でございましょう?」
弓月は表情を変えずに狐面の男を見ていた。
だが、椿は向き合う二人の顔を交互に見て、落ち着かないようだった。
「だとしたら、どうするつもりじゃ?」
「どうもしないとはいかないので、この方の御礼と言わずとも、その稲荷寿司をお渡ししていた事でしょう。御三方にはきっと必要な物でしょうからね……おっと、名乗りの話でしたね。えっと……『童』と名乗っておきましょうか」
怪しいを通り越して、不気味と言える程に先を見通しているかのような言いようで。
かと思いきや、思い出したかのように話を戻す。
そんなやり方に弓月は相手にもだが、警戒していた自分にも呆れを感じ始めていた。
「ふざけた奴じゃ、話をコロコロ変えよって。それにお主は童と言えるほど幼くはあるまい」
「聞いてわからない名を名乗っても意味はないですよ。相手に伝わる名であるからこそ、意味があるのです。決して、本名を名乗りたくない訳ではないのですよ。それはもう決して!」
「もう、わかったわかった! 今はそれで良い事にしてやる! お主と話しておるとこっちが疲れてくるわ」
受け取った二つの包みを持ったまま、狐面の男に背を向けた。
「じゃあの。これでも我らは先を急いでおるのでな」
「そうですか、それではまた」
また出会うのをわかっているような口ぶりは、弓月の眉間にまた皺を刻み込んだ。
「し、失礼します」
「はい、お気をつけて」
椿も遅れながら、弓月へとついていく。
狐面の男は二人の姿が遠くなるまで眺めた。
「あの方が弓月様……いやはや、恐ろしい。あーまでしてまで自分の務めを果たそうとしておられるとは。なんと厚い忠義でございましょう」
そう呟きながら九ノ峰山を見る。
ゆっくりと深呼吸をしてから、さっきからモゴモゴとうるさい元虚無僧を見た。
「はいはい、そんなに騒がなくても外しますよ」
口に張り付けた札をゆっくりと剥がした。
「お! お主は一体何者だ!! まさか、拙僧を殺しに来たのか!?」
開口盛大に声を荒げながら、逃げ出しそうな体勢をとった。
「まぁまぁ、落ち着いてくださいな。そんな事をするのであれば、わざわざこんな所で貴方を助けた方と話も御礼もしないでしょう?」
「そ、それもそうですな」
狐面の男の言葉を聞いて、荒げていた呼吸を整え出した。
それを見て、安心させるように頷いてから。
「先ほど弓月殿に言った通り、僕は貴方から色々と話を聞きたいのですよ。差し当たっては僕の屋敷に来て頂きましょうか」
元虚無僧へ手を差し伸べて、立ち上がらせるのであった。

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