第三話 東北東の山へ

 

 浜辺から海岸線である草が生えた地面へと上がると。

「……なんだ、道があるじゃないか」

 浜辺と海岸線の高低差から見えなかった道を見つけたのだ。
 踏み慣らされて地肌があらわになっているのを考えると、人が使っているのは明確である。
 それに加えて、道が浜辺沿いに続いている。
 村へ辿たどり着けるかはわからないが、彼はこの道を進む事にした。

「これなら、迷わずに済みそうだ」

 確かに簡易かんいすぎる地図よりも道を歩けば、村へは問題なく行けそうである。
 歩いている間に、他の人もこの道を歩いていた。
 その中には、彼が行こうとしている村へと向かう者もいるだろう。
 彼と同じような旅人も居れば、修行のために旅をするお坊さんである行脚あんぎゃや、手紙や荷物を運ぶ飛脚ひきゃくとすれ違うこともあった。
 刀や槍を持った軽鎧けいよろいの武士たちともすれ違った。
 その武士の中に彼と似た獣耳けものみみと尻尾を見かけ、彼は足を止めて、振り返った。
 武士たちは小走りで道を進んでいるため、話しかけられなかったが、獣耳と尻尾が白い者を先頭にいた。

「……あの人数で行くってことは何かあったのか? まぁ、俺には関係ないか」

 そう呟くと彼は歩き出した。
 十五人ほどの武士たちの中には彼のような妖怪も居れば、人間や鬼もいた。
 すれ違う中にも人間と思えない容姿の者も居たが、周りも彼自身も取り立てて驚くことはなかった。
 それは何故かと言えば、人間以外も生きているからだ。
 妖怪と呼ばれる者たち、妖怪と人間との間に生まれる半妖と呼ばれる者たちも人間と共存している。
 見た目に驚くことはあっても、存在し、生きている事は当たり前と言える故に。
 人間や妖怪や半妖、そして、彼自身もまたこの世界で生きているのだ。
 そんな彼が海沿いの道を、東北東の山を目印にしながら進む事、三十分ほど。

「ここを曲がれば、良さそうだな」

 有難い事に、目印にしていた東北東の山を正面に進んでいける道があった。
 踏み慣らされた道が曲がりくねっているが、進んで行けそうである。

「あれは浜辺から見えた……ひとまず、あれを目指すとしよう」

 山頂付近に小屋が見える。
 今も白い煙をもくもくと出していた。
 彼は目的地をその小屋という事にしたのだが、彼には気にかかる事があった。
 山へと続く道を進むと、道端の岩に座り、休んでいる飛脚の男がいることに気づいた。
 その飛脚へと近寄る。

「休んでいるところ、すまない。ここら辺に村はあるか?」

 目的地である村がこの山の向こうにあると限らない。
 もしかすると、この山を越えなくても近くにあるのかもしれない。
 その懸念けねんを無くすために声を掛けたようだ。
 彼に声をかけられた飛脚は汗を手ぬぐいで拭きながら、彼を一瞥した。
 姿を見て、少し驚いた様子で手を止めた。

「村? あー、この山の向こうにある村か?」
「だと思う」

 飛脚は彼の容姿をジロジロと見て、何か納得したようで。

「なら、山を登んないとな。この道をもう少し進んだら蛇腹じゃばら崖道がけみちがある。そこから登んな」

 山へと振り向くと、山の傾斜に沿って、頂上へと登れる蛇腹道じゃばらみちを指差した。
 登っていく人が見える事からその道に間違いはなさそうである。

「そうか、ありがとう」

 飛脚は少し気怠そうではあったが、村の場所と道まで丁寧に教えてくれた事に感謝して歩き出した。
 どうやら、村は思った通り山を越えた先にあるらしい。
 取り越し苦労にならずに済んだ。

「山頂近くに茶屋がある! そこで休んで、また道でも聞きなー!」

 飛脚が大声で教えてくれた。
 彼は、軽く振り返り、三度笠のつばをもって、返事をした。
 見えていた小屋はどうも茶屋だったようだ。

「そうか、茶屋か。休ませてもらうとしよう」

 そう呟くと軽く尻尾を振った。
 串団子と温かいお茶にありつけるかもしれないからである。
 食いしん坊の彼にとって、楽しみであり、自然と足取りも速くなった。
 しばらく進むと、飛脚が言ってた通り、蛇腹の崖道に着いた。
 その道も地肌が見えており、岩もゴロゴロと埋まったまま。
 少し崖側へ傾斜がある所もある。
 足場に気を付けつつ、登っていく人に道を習いながらも登っていくこと……二時間ほど過ぎた頃。

「これは、迷ったか?」

 なぜか、林に迷い込んでしまったようである。
 問題なく蛇腹道を歩いていたのだが、途中から草が生えている所を進んでしまっていた。
 あのまま登ればよかったのに。
 事もあろうに、草が分けられただけの獣道へと入り込んでしまったのである。
 しかも、その獣道けものみちは途中から道がわからなくなったのにも関わらず、何を考えたのか、そこから上へと登り始めてしまったのだ。
 踏み慣らされていない坂道は蛇腹道よりも足場が悪い。
 草は生い茂っているせいで足元は見えない。
 傾斜も高いせいで、草を掴んで登ったり、木を伝いながら登らなくてはいけない。

「何でこんな事に……」

 獣道がわからなくなった時点で元の道へと戻ればよかったのだが。
 後悔先に立たずとはこの事だろう。
 四方八方、見回しても木と生い茂った草ばかりで、元の道に戻れなくなったのだ。
 どうやら、彼は方向音痴というものも持ち合わせているようで旅に出るべきではないように思えてくる。

「とりあえず、平坦な場所があれば、休むとしよう。お腹も空いてきた……」

 ぐーきゅるぴー。

 腹の虫が返事をするように腹を鳴らしている。
 木を伝って登る事、一時間弱。
 やっと平坦で草の茂りも芝生のように落ち着いた所へ辿り着いた。
 幹が細い梅の木が花を見事なまでに咲かせている。
 その木陰へ適当に座った。
 座った拍子にくっついていた草や枝がポロポロと落ちた。
 林の中を登ってくるのは辛く、ぜーはーぜーはーと肩を使って息をするほどに息が荒くなっていた。

「ん? 何か変わった匂いがするような……」

 梅の花の匂いに対してではなく。
 言い表すなら、花や果物とは違った仄かな甘い香りと、鉄独特の匂いが混ざり合ったような変わった匂いだ。
 自然にはない匂いがするということは、近くに人がいる事が考えられる。
 だが、彼はあまりの疲労のせいでまた立ち上がって、探そうとはしなかった。
 息を軽く整えると、三度笠さんどがさ縞合羽しまがっぱを外した。
 三度笠や縞合羽についた草や枝をはたき落とし、浜辺で置いた時と同じように置いた。
 涼しい風が汗を冷やして、体も心地良く休ませてくれる。
 彼は右腰の瓢箪ひょうたんを取り、水を飲む。
 喉音のどおとを鳴らしながら飲む水は、これまた格別かくべつで生き返るというのはこういう事かと思ったのだろう。

「はぁー、生き返る……」

 水を満足いくまで飲むと、そう呟いた。

「それは、良かったです」
「いやぁ、ここまで大変で疲れたから水が美味いのなんの……って?」

 話が続いた事で思わず、しゃべってしまった彼はおかしな事に気づく。
 彼は一人のはずで、彼の肩にいる黒い人魂ひとだまは話す事もできないのにも関わらず、人と会話しているのだ。
 瓢箪のせんをしようとした手元から視線を上げると、かごを背負った女の子が居た。
 髪型は現代で言うところのミディアムヘアー、赤い髪。
 おでこに折れて短くなってしまった一角のある鬼の女の子である。
 その一角がほんのりと赤いということは赤鬼だろう。
 そして、人と同じ肌の色、鬼とは思えない人間のような体の大きさからすると半妖。
 つまり、人と妖怪のハーフである。
 彼女の背中には少し大きな篭を背負っている。
 篭の中にはさまざまな山菜とキノコがこんもりと溢れんばかりに入っているのを見ると、女の子とは言え、さすが鬼の子。
 その力は妖怪の血譲ちゆずりなのだろう。
 着物の袖をたすき掛けして、足元の裾や着物の所々が汚れているのをみると獲ってきた帰りのようである。

「おー! 良かった!」

 彼は瓢箪に栓をするや否や、立ち上がって、女の子へと近づいた。
 その勢いに怖気付いたのか、彼女は二、三歩たじろいだ。
 見知らぬ人が近づいてきたら、誰だって驚くだろう。
 彼とは頭ニ個ほど違う身長差もあるのだから無理もない。

「ん?」

 彼は、彼女へと鼻を近づけて、匂いを嗅ぐ。
 さっきの甘い香りを彼女からしたような気がしたのだが。

「え、なんですか!?」

 彼女はさらに後退りして、見るからに嫌な顔をしていた。
 顔色もさっきより青くなっている気もした事から甘い匂いについて聞けなくなってしまった。

「いや、すまない! えっと、実は山を登っている間に道に迷ってな。林の中を登って、やっとここまで来たんだ! アンタは、今から家に帰るのか?」
「え? まぁ……そうですけど……あなたは?」

 彼女は早口に言ってくる彼をうたぐり深く、容姿や服装を見ながらにそう尋ねた。
 初対面で「今から家に帰るのか?」と聞かれれば、変に思っても仕方ない。

「俺の名前は、あお。黒い狼の妖怪で、旅をしている」

 仁王立におうだちで堂々と名乗るにしては淡白すぎる自己紹介ではあるが、彼女には十分のようである。

「黒い狼の妖怪……だから、その耳と尻尾なのですね。でも、この近くの村を治めている方は犬の妖怪ですから……ご親戚しんせきかなにかで?」
「いや、全く知らない。なんなら、なんで行くのかも分からないんだが、その村に用があるみたいなんだ」
「は、はぁ……」
「たぶん、その人に会いに行くんだろうな。だから、知ってたら、案内してほしいんだが……」
「そ、そうなんですか……わ、わかりました! 私が案内しますね」
「本当か!? 助かる! お陰でこれ以上、迷わなくて済むしな」

 嬉しくて狼耳おおかみみみと尻尾を振る蒼に少し面食らいながらも、彼女は影を落とした。

「ただ、私が案内できるのは村の入り口までです」

 暗く辛そうに彼女はそう言った。

「そうなのか……できらば、その治めている方ってやつの家までお願いしたかったのだが、仕方ない」

 それとは対照的に蒼は暢気のんきな物言いである。
 頼んだ側なのにも関わらず、少し態度が大きいのは気のせいだろうか。

「と、とりあえず、家に帰っていいですか? 荷物を置いて、あと、お昼も食べないと」
「それもそうだな……じゃあ、俺もここで昼飯を食べるからまた来てくれ」

 蒼はさっきまで座っていた木陰へ歩いていく。
 その背中を見て、彼女は少し後ろめたさを感じたのか。

「あ、あの!」
「ん?」

 少し歩み寄って、声をかけたにも関わらず、振り返った彼に少しあわててしまい、うつむいて。

「えと……ついてきてください。迎えに来るのは手間ですし、それにこの山で茶屋をしていますから……何もお出しできませんが、表の椅子に座って待っていてください」

 彼女は責めてものつぐないにとそんな提案をしたのだが、返事がない。
 おそおそる蒼の顔を見ると、見るからに元気がなくなっていた。

「何も出せないのか……」

 串団子と温かいお茶にありつけない。
 その事実に狼耳と尻尾を力なく垂れさせた。
 登ってくる最中、楽しみにしていたのだから無理はない。
 少し虚ろになった彼の目に、涙目で少し震えるように自分を見る彼女が見て、我に帰った。

「いや、ありがとう! そこでゆっくりさせてもらおう」

 道を教えてもらえるだけでなく、休ませてもくれるのだ。
 それだけでありがたいと思い直した。
 蒼は狼耳を立たせ、尻尾を振りながら彼女へと感謝を伝えた。
 蒼の表情の変化にきょとんとしていた彼女もつられて笑顔になった。
 蒼が彼女の言った事を気にしていないようで安心したのかもしれない。

「ちょっと待っててくれ、俺も荷物を」

 三度笠と縞合羽を手に取って、また彼女へと近づく。
 彼女には、彼を怖がるような素振りはもうなかった。

「こっちです」

 そう言って歩き出した彼女に、蒼は頷いてついていく。

「あっ! 私は、椿つばきと言います。この先の茶屋でしている赤鬼あかおに半妖はんようです。よろしくお願いします!」

 自己紹介を忘れていたのに気づいて、立ち止まって、蒼に勢いよくお辞儀じぎをした。
 だが、そのお辞儀のせいで篭に入っていた山菜とキノコが蒼の顔めがけて飛んでいき。

「のわぁーーーっ!」

 あまりの山菜とキノコの多さと勢いに体勢を崩して、成す術もなく。
 蒼は声と尻尾を残して、山菜とキノコに埋もれてしまった。
 赤鬼の半妖である椿は割とおっちょこちょいのようであった。

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