第十七話 第六の試練

 

 最奥の社を後にした二人は、残り三つの社へと足を進めた。
 滝が近くにあるのか、より霧が濃くなってきている。
 石畳の階段も山の凹凸おうとつに沿って組まれているせいで登りや下りが激しくなっている。

「少ししんどいですね」

 息が上がって辛そうにする椿つばき
 山で茶屋を開いていた椿にとっても少しこたえるようだ。
 あおの狼姿に包まれていたとはいえ、身体を十分に休められなかったかもしれない。
 
「まぁ、ちょっとは……なにか匂わないか?」
 
 平然と後をついてくる蒼だったが、霧の中に何か変わった匂いを嗅ぎ取っていた。
 そんなに濃くはないが、鼻の効く蒼からすれば、鼻を軽く刺されるような匂いだ。

「匂いですか? 私にはわかりませんが」
「これは嗅がない方が良さそうな気がする。ちょっと風を起こしておくか」

 左手を下から上へと仰ぐと、二人の身体を中心に風を巻き起こした。
 口を押さえていた蒼は、においをぐとその匂いは届かなくなっていた。

「これでよし。椿も大丈夫そうか?」
「は、はい、大丈夫です! 蒼さんの勘違いかもしれませんよ?」
「なら、良いんだけどな。ちょっと辛そうに見えるが、おぶってやろうか?」
「大丈夫です、これでも山育ちですから……へ?」
 
 少し照れながら、上がって行こうとした足が上がらず。
 ふらっと後ろへと倒れる椿を蒼は受け止めた。
 身体を中心に吹いていた風はぶつかった事で一つの風になり、蒼と椿の二人の周りに吹いていた。
 受け止められた椿は目を固くつむって、体もこわばっていた。

「〜っ、今のは死ぬかと思いました……」
「危なかったな。まさか、後ろに倒れてくるのは驚いたけど」
「足が上がりませんでした……」
「寝たとはいえ、疲れが取れなかったんだろうな。俺の事は気にしなくて良いからおんぶされてくれ」
「わかりました」

 だいぶ疲れが溜まっていたようで、おぶられた椿は蒼の背中に体を預けてきた。

(さっきの社までは元気だったのに……さっきの匂いのせいか?)

 力なくぐったりといった感じで体を預けてきた椿にそんな事を思う蒼は何も言わずに階段を上がっては下った。
 そして、下っていく最中。

 ちりーん、しゃりーん。

 試練が始まる鈴の音が鳴った。
 四、五個目の試練の時と同じように椿を下ろして戦おうと思ったが、体調の悪さからして離れない方がいいと思い、背負ったままで試練にいどむことにした。

(こんな状態の椿を放っておけない。にしても、戦いにくそうだ)

 前を遮っていた霧が風でどかされると次の階段は登りなのだが、段の高さがチグハグだった。
 今まで歩いていた階段は大きさは均等であったはずが歩きにくい階段になっている。
 階段の上まで視線を伸ばすと社の屋根がちらりと覗いていた。

(忍者は襲ってこない……気配は随分と近くにある感じがするのはなんだ?)

 警戒しながら、階段を一段足にかけた時である。
 踏み出した足に痛みが走り、眉をぴくりと動かした。
 階段へ踏み出した右足。
 はかまを摘み上げてみると切り傷から血が出ていた。
 不審に思いながら、試しに左足で次の一段へと踏み出すとまた足に痛みが走った。
 左足側の袴をつかみ上げるとまた切り傷があった。

(また袴の中。これも忍術か……もしかすると階段を上がるたびに切られるのかもしれないな)

 社まではざっと見た所、十五段程ある。
 上がって行くたびに問答無用に切り付けられる。
 この二段はこの程度で済んだが、他はどのくらい立ち筋が飛んでくるかわからない。
 それに、袴には切り傷がないのにも関わらず、足だけに切り傷ができたのは妙だった。

(アイツは妖術じゃないって言ってたけど、忍術ってのは案外似ているのだとしたら、幻術があってもおかしくないな)

 蒼はせっかく上がった階段を降り、試練が始まった所へと戻った。

(なんか身体も動かしにくくなってきてるし、幻術じゃなかったとしても、『はやぶさ』で一気に駆け上がることにしよう)

 身をゆったりとさせて、目もゆっくりと閉じた。
 身の回りに吹かせていた風を少し弱めて、
 
風気ふうき ふくろう

 と目を一気に見開いた。
 身の回りにあった風も一気に辺りへと吹き荒んだ。
 すると、辺りが一変した。
 階段の段差は均一になり、階段には複数の忍が待ち伏せていた。
 背中から冷たさと岩肌を感じ、背を見れば、椿ではなく岩を背負っていた。
 椿は木にもたれかけられ、忍に介抱かいほうされていた。
 霧と思っていたものは単なる煙。
 匂いもその煙からくるもので毒霧のような類ではなかった。
 身体が鈍くなったのも足に切り傷がついたのも幻覚、やはり、幻術によるものだった。

「なるほど、試練の鈴の音がなる前から試練は始まってた訳か」
「い、いや、幻術を掛け始めた時に鳴らしたが……」
「いつだ?」
「この子がしんどいと言い始めた時くらいに」
「そんなもの聞こえなかったが……じゃあ、さっき聞いたのは?」
「もしも、聞いていない時のために幻術を弱めて一応で」
「そうか。俺たちはまんまと幻術に掛かってた訳だ」

 蒼の髪や服が無風の中で揺れ始めた。
 妖気を練り上げる様が見え、その妖気は辺りへと溶け込んでいく。
 その様に椿の介抱をする忍はもちろん、階段に立っている忍たちもオロオロと取り乱し始めた。

「お前はそこで椿の介抱をしていればいい」
『あと、これから起こることをしっかりと見ておけ』

 椿の側にいた忍に言いながら、見る見るうちに黒い狼へと姿を変えていった。
 ひ、ひぃ〜と声をあげて怯えたのも束の間、黒い狼は階段にいる忍達に襲いかかった。
 一人には爪で引き裂き、一人は生きたまま噛みつき、牙を体に容赦なく突き刺さった。
 逃げる忍には複数の鎌燕かまつばめを飛ばし、細切れにした。
 圧倒的な蹂躙じゅうりん一分も掛からず、黒い狼は階段の上まで上がりきっていた。
 階段には忍達の死体が散乱していた。
 椿を介抱していた忍は恐れ慄いて、腰が抜けて、ガタガタと震えるばかりだった。
 咥えたままだった忍を吐き捨てた。
 ぐしゃりと地面に落ちて、血を階段へと流すばかりで動きもしない

『やるならこれぐらいしないとな』

 黒い狼は血まみれになった口で階段下の忍に言った。
 忍は後退りして、後ろにある緩やかな階段に手をぶつけた。

「くっ」

 軽くくじいたのか手を押さえた。
 その声が聞こえたのか、気を失っていた椿が目を覚ました。

「うーん、なんでこんなとこで寝て……あれ、蒼さんは?」

 少し目を擦りながら辺りを見て、なんとなく、階段上を見た。

「そんなとこに居たんですね。試練は終わったんですか?」
『終わったんだが、まだ鳴らないな』
「そうなんですか……えと、忍の人たちが階段で倒れてるのはなんでですか?」
『俺が幻術を見せたからだな。あ、解いてやらないと終わらないとかか?』

 黒い狼から手が鳴る音がすると、風景がぐちゃりと曲がった後に一変する。
 階段で転がっていた忍は死んでおらず、血も流していなかった。
 ただ、うめいているだけで生きている。

「ちょっとやり過ぎたかもしれないが、幻術を使うならこれくらいの事はしないと。相手の戦意を奪えないからな」

 忍が声のする方へ視線を向けると、人の姿の蒼が階段上に立っていた。
 横には頭を抱えた忍がいる。ガクガクと震えているのを見るに無事のようだ。
 つまり、さっきの出来事は全部、蒼が見せた幻術であって、誰も死にはしていないのだ。

 ちりーん、しゃりーん。

 と鈴の音が鳴り、隠れていた忍達が迎えにきた。

「そんなに怯えてどうした?」
「た、助けてくれ! 殺されるっ! ……あれ? みんな生きてるのか?」

 迎えにきた忍に対して、声をあげてしまった事をいながらも安心した。
 
「……後で話す。みんなを連れて行ってやってくれ。俺は自分で歩ける」
「いや、お前も連れてく。俺たちには見えなかったが、お前も相当参そうとうまいってるのがわかるからな」
「……すまない、ひぃっ」

 忍の手を借りようとして顔を上げると、蒼が側に立っていた。
 それだけなのに酷く怯えてしまう自分が情けなかった。

「やり過ぎたな、すまなかった。椿の介抱をしてくれてありがとう。それだけ言いたかったんだ」
「あ、あぁ……」
「寝てる奴らにもやり過ぎてすまなかったと伝えてくれ」

 忍が頷くと蒼は椿に近寄って行った。
 あれだけのものを見せておいて、変な奴だと思ったが、不思議と怖さがやわらいだ気がした。
 いや、そもそも怖くないがな!!と椿を介抱した忍は仲間に見栄を張ったのはまた別の話。

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