第十九話 風 と 水

 

 押し付けた手の巻物から水があふれ出した。
 だが、その水は地面を這う事なく、空へと上がっていく。
 空高くとまではいかないまでも頭上。
 やしろの敷地内の上空に見えない水槽すいそうがあるがごとく、水が溜まっていく。
 そして、水が出てこなくなったその時である。
 にしきの手を押し退けて、巻物から細長い何かが出てきた。
 出てきたそれは水の中へと入っていく。
 出口が狭かったせいで細長くなっていたが、泡立った水の中がんでいくにつれて姿が見えてきた。
 白い肌地に赤い模様。
 入り混じったようでいて、はっきりと境のわかる紅白の体。
 胸びれ、背びれ、尾びれが水の中で優雅に揺れ。
 ひげは長く、目もギョロリと大きい。
 もはや、全体的に一般に知られる大きさとは比べるまでもなく大きい。
 頭上を見上げたあお椿つばきを口で丸呑みにするのも容易いと思われる。
 錦が呼び寄せた化け物、三人の頭上を遊泳ゆうえいする化け物は巨大な錦鯉にしきごいである。

「蒼様には私の相棒である緋代ひしろと戦ってもらいます。緋代、程々に相手してあげて」

 巻物を回収した錦が見上げて言うと、頭上の緋代と呼ばれた錦鯉は口をパクパクと動かした。

「それと……椿様は私と」
「は、はい! わわっ!」

 錦はすぐに椿へと駆け寄ると、返事受けると同時に椿を抱えた。
 社の敷地全体が見える木の上に着くと、丈夫そうな木の枝に椿を座らせた。

「蒼様、私達はここで見ております。勝敗は私が決めますので、存分に力をお見せくださいませ」

 再び、鈴を胸元から出すと。

 ちりーん、しゃりーん。

 と試練始まりの音を奏でた。
 
「力を見せたいのは山々だけど、どうしたもんかな」

 蒼は頭上の緋代と対峙たいじしながら、とりあえず、身構えた。
 緋代は頭上の水の中で泳ぎ始めた。
 すると、底面から蒼へと水が滴り落ちていく。
 その水滴の大きさは蒼を包み込むほどに大きい。
 蒼は真上から落ちてくる水滴を避けた。
 避けたのは良いが、地面とぶつかった水滴は弾けて、四方八方へと飛び散った。
 蒼へも飛び、風を起こして防いだ。
 着地して、起きてきた水滴を見てみると風を受けて揺れていた。
 その事に気付きはしたもののすぐさま避けた箇所にも水滴が滴り落ちてきた。
 水滴を避けて、飛沫しぶきは風で防ぐ。
 また避けたところへと水滴が落ちてくる。

「ふふ、蒼様も攻めあぐねていますね。でも、アレをまともに当たらないよう避け、防ぐとは良い勘をしています」
「錦さん、あの水滴はなんですか?」
「見ていればわかります。ただの水ではありませんから」

 遠くから戦いを見る錦と椿の会話など聞こえるわけもなく、蒼は防戦一方で避けることしかできずにいた。

(これじゃ、攻撃ができない。そもそもどう攻撃するかも考えられてないし、らちがあかない。それに……この水粘り気が強い)

 何度も避けては防いでいる内に水が異様に石の上で楕円だえんにへばりついているのに気づいた。
 服や体に付いていけば、どんどん動きが鈍くなり、最後には水に押しつぶされ立ち上がらなくなる事だろう。
 
「て言うか、相手を地面につける事が勝敗であって、そもそも、戦いの場所は決められてない……なら」

 蒼はまた避けた先で水滴が落ちてきたのを見て、避けながら緋白の下から社の敷地から飛び出した。
 飛沫は草木が防いでくれたおかげで風を起こさずに身を潜めた。
 そして、緋白へと目を向けると思った通り水滴の追撃はなかった。
 飛沫のかかった草木には緋白の水が垂れ下がっていた。

(よし、これなら大丈夫か。次はアイツをどうやって、地面に落とすか……っ!)

 蒼は咄嗟とっさけた。
 身を潜めた蒼に時間差で追撃が飛んできたのだ。
 それも水滴よりも速く、的確に水の塊が飛んできた。
 草木をへし折る威力も兼ね備えた水弾。
 さっきまで隠れていた所が地肌を曝け出していた。
 着弾した飛沫の中に身を隠させてくれた草木がへし折れた形で混じっている。

「これは、アイツの下に居た方がマシだったかもしれないな……けど!」

 また水弾が飛んできた。
 どう放たれていたのかと今度は緋白を見ていると蒼を容易く飲み込みそうなほどに大きい口。
 そこから水を吸い込み吐き出され、見えない水槽の外へと押し出された水が水弾となって飛んできていた。
 水を吸い込むのと蒼を狙うために水滴攻撃よりも遅い間隔で水弾攻撃が飛んできている。
 水弾を避ける前に足に力を溜め、高く飛び上がった。
 そして、空を飛ぶために風を身にまとった。

風気ふうき 飛鷹ひよう

 さっきまで避けるのに防戦一方、避けと防ぎばかりだった。
 空を飛んで、緋代と同じ高さまで飛んで正面に向き合う事ができた。

「蒼さん、上手くやりましたね。これで攻撃もできます」
「先の試練で見せた妖術……空が飛べるとは卑怯ですね」
「すごいですよね。私も飛んでみたいです」
「蒼様なら、他人も飛ばせるでしょう?」
「それが、やった事が無いから落とすかもしれないと言われてしまって」
「ふむ。まだ成長の余地があるとはあなどれぬ方です」

 そういう捉え方もできるかと椿は感心しながら、目の前の戦いに視線を戻した。
 緋代が水を吐き出し、蒼へと水弾を放たれていた。
 水弾を素早くかわすとそのまま緋白へと突っ込んでいく。
 緋代は巨体を動かし、頭と尾びれをひるがえした。
 尾びれは勢いそのままに水を思い切り叩き出す。
 叩き出された水はまるで、漁網りょうあみの如く広がり、蒼を捕えようと迫ってきた。

風気ふうき かわせみ

 蒼は手を合わせ、腕を伸ばして、身体を槍のような真っ直ぐに伸ばした。
 そして、自分の身の周りに風を纏わせた。
 避ける事はせずにそのまま水の網を突っ切る態勢で突っ込む。
 水の網と槍がぶつかると、網が槍を包もうとする瞬間に槍が突き破った。
 槍のようになった蒼は勢いを衰えさせるとこなく、緋代へと突き進む。
 緋代は三度、水の網を放つが全て突き破られ、蒼はすぐそばまで近づいてきていた。
 それを狙ってのことか、ここぞとばかりに尾びれと頭を翻して、お互いに正面向かい合った。
 蒼は『風気 』を解くことなく、ただただ突っ込んでいく。
 緋代は翻す前に口に溜めていた水を蒼へと放った。
 近距離の水弾は今までのどれよりも大きく速い。
 蒼を捕えない訳がなかった。
 槍のような蒼を飲み込んで、水弾は大きな木にぶつかった。
 木が揺れて葉が舞い落ちるせいで姿は見えないが。

「蒼さん!」
「地面についていませんが、緋代の水弾が近距離であったのですから、気絶してても無理はな……い」

 勝利を確信した錦がじっと目を凝らして、木の葉の揺れる大きな木を見た。
 舞い落ちる木の葉の奥に蒼の姿は。

「え、嘘でしょ?」
(あの水弾を避けた……いや、確実に当たったように見えたのに)
「あ、なんだか、緋代さんも変です!」

 椿の声に錦は緋代へと目を向けた。
 すると、落ち着きなく、キョロキョロと向きを変えていた。
 まるで何かを探すように。

「危なかった。流石にあれは『』では突き破れないな」

 蒼の声は水弾がぶつかった大きな木からではなく、緋代よりも上。
 上空から聞こえて来たのだ。

「緋代、上です!! 上を向いて!!」

 錦は思わず、緋代へと声をかけるが絶句した。
 蒼の声は緋代にも聞こえていたようで臨戦態勢を取ろうと、上を向こうとしたのだが。

「もう水がないから上を向けないだろ?」

 緋代の攻撃は常に水を介しての攻撃ばかりだった。
 蒼もそれには防戦一方だったが、それがあだとなった。
 水はあるにはある。
 だが、それはあくまで緋代が下への攻撃、横への攻撃、前方広範囲の攻撃しかなく、真上へは攻撃できない。
 それに気づいたからか、緋代は身体を大きく揺らして、蒼の攻撃をずらそうとした。

「近距離のアンタの攻撃を避けられた俺にその小細工はみっともないな」

 頭から落下しながら蒼は手を擦り合わせ、十字形に手を掴み合わせた。
 掴み合わせた両手を腰へ引き、力を溜める。
 すると、両手の中で何かが膨らむが如く、両手が離れていき、手と手の間で空気の塊が集まっていった。

「『風気 はやぶさ』で狙いを定めて……」

 暴れる緋代へと落ちていきながら、水弾をかわしてみせた素早い動きで水面から出てきている背びれ、背中に狙いをつける。

「アンタくらいでかいのとは初めて戦うからな。手加減はせずに思い切り決めさせてもらう!!」
風奥義かぜおうぎ 烈風掌れっぷうしょう

 緋代に触れられる距離まで落ちてきた蒼は、腰に引いていた両手を突き出した。
 開かれた両手の中には圧縮された空気の玉があり、緋代の背中に当たるや否や、巨体を水の中から地面へと弾き落とした。
 威力は巨体がくの字に曲がる程に強く、一瞬にして水の中から弾き出され、社の敷地。
 その地面へと巨体を打ち付けるには十分過ぎるほどであった。
 地面に落ちた緋代は陸に上げられた鯉のように激しくとは言えないが、巨体を少しだけねさせていた。

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