蒼は、椿から貰った串団子とおかわりしたお茶を平げて、茶屋からの景色を眺めていた。
「暇だ」
椿にゆっくり食べて良いと言った手前、催促する訳にはいかない。
そうやってぼんやりして、欠伸をこぼした。
瞬きをしていると、蒼の左側から団体が山を登ってきた。
海岸線ですれ違った軽鎧の者たちである。
茶屋に目もくれずに蒼の前を通り過ぎていく。
と思われたが、先頭にいた獣耳も髪も尻尾も白い者が足を止めた。
「そこの御仁。変わった妖気をしておりますな。少々お話を伺ってもよろしいですかな?」
蒼を見ながらにそう尋ねられたのだから、彼の話を聴くべきかなと蒼はそう思った。
あと、暇だから良い話相手だとも思っていた。
「……え? 別に構わないが」
「それでは……」
返事をすると白い先頭者は蒼の前に歩み寄ってきた。
白い先頭者の背丈は蒼よりも低く、遠巻きに見れば身体が細くも見えた。
こうして面と向かってみると、軽鎧越しではあるがしっかりと鍛えられた肉体である事を見受けられた。
そんな白い先頭者は話し始めた。
「見かけぬ顔だが、旅の者ですかな?」
「あぁ。さっきあっちの浜辺で本土に着いたばかりだ」
「となれば、島育ち……あの浜辺になったイカダはお主が使ったものだな?」
「そうだ、浜辺に賊がいたけど蹴散らしてなんとか……」
「その賊たちはどこに行ったかわかるか?」
食い気味に質問を投げかけられ、蒼は少し息を呑んだ。
ただの世間話ではない事情聴取というものを本土で初めて体験している事に少しばかり勘づきながらも。
「海岸線向こうの林の中に逃げていった。取り立てて追う必要もなかったから行き先は知らないな」
「左様か……皆の者、賊はまだここら辺に潜んでいるかもしれない。一度村に帰り、昼ごはんを食べた後、再び捜索し捕まえるぞ」
「「「おー!」」」
白い先頭者が軽鎧の者達にそういうと何人かは声をあげ、他は頷いた。
「旅の方よ。お疲れの所、話を聞かせてもらい感謝する。ついでと言っては悪いのだが、もう一つ聞かせてもらってよいかな?」
「なんだ?」
「お主の妖気が二つあるのは何故だ?」
「それは……」
蒼は言い淀んだ。
こういったことになった時のための対策をしていなかったからだ。
容易く言ってしまって良いものか、言ったとして弓月に後で怒られるかもしれない。
そう考え、視線を逸らしたが、その振る舞いに白い先頭者は訝しく片眉を吊り上げた。
「怪しい……この者も村へ連行しろ。島育ちの余所者だ、良からぬ事を考えておるかもしれん」
軽鎧の者が二人。
蒼の側へ駆け寄り、両腕を掴んできた。
「そ、そんな事は!」
思っていない、と言おうとした所に茶屋の中からのしのしと重そうな足音が耳に入ってきた。
白い先頭者と蒼が茶屋の入り口に見た時にはちょうど赤い暖簾を大きな手の甲が押しのけ、長身で筋肉質な体が出てきた。
「政晴、その旅の方は儂を尋ねてきたのだ」
その長身の男は、白髪の前髪を割くようにおでこに赤い一角がある。
椿と同じで赤鬼。
強面ではあるが、長く白い髭のおかげで年寄り特有の渋さを醸しだしている。
上半身の着物を脱ぎ露出している身体は、筋肉が盛り上がり、筋骨隆々というものを体現している。
身体は、顔よりも遥かに若く感じる。
背も2メートルを超えている程で、見上げざる負えない。
鬼とはかくあるべき、そう言われているようである。
広く感じた茶屋の入り口は、どうもこの赤鬼のためのようだ。
それと、赤鬼が来てから汗の匂いに混ざった鉄特有の匂いが強くなった。
鉄の匂いもこの赤鬼のせいに思えた。
「なんと、鉄戒殿の客人でしたか。これは失礼な事をした。お詫び申し上げまする」
白い先頭者は政晴というらしく、蒼に向かって礼をした。
両腕を掴んでいた軽鎧の者達も手を離して、政晴の横へ立ち礼をしてきた。
「だ、大丈夫だ。疑いが晴れてよかった」
「いや〜、かたじけない」
政晴は頭を摩りながら、困ったようにはにかんでいた。
「政晴たちは村と村周辺の治安を守ってくれておる。大目に見てやってくれ」
鉄戒と呼ばれた赤鬼も申し訳なさそうに言ってきた。
「驚いたけど、大丈夫だ」
「それでは旅の方。賊の情報をありがとうございました。鉄戒殿、これで失礼致します」
「ああ、気をつけろよ」
軽鎧の者たちの前へと加わり、歩き始めた。
振り向いて、手を振ってくるのを鉄戒も軽く手を上げて返した。
「助かった。ありがとう」
「なんて事はない」
客のいない茶屋から出てきた鉄戒。
椿の曽祖父か、家族に違いないと思えた。
「アンタ程の赤鬼は初めて見たな」
「かっかっ! そうだろうよ! これでも半妖でなく、正真正銘の赤鬼だからな。そういうお前もそうだろ?」
鉄戒は盛大に笑い、蒼にそう聞き返した。
視線も正面の風景へと移して見ている。
まるで海の向こうにある蒼の故郷を見るように。
「まぁ、妖怪に違いない」
蒼も正面の風景へ向き直した。
どこをみるでもなく、遠い目で。
堂々とした見た目に反して、回りくどい言い方をしてくる鉄戒に蒼は少し話しにくさを感じた。
「いやぁ、この妖気……懐かしい」
鉄戒は顎髭を撫でながら、目を瞑った。
その目尻には、薄らと光るものがあった。
「それはどういう……」
鉄戒に向き直って立ち上がろうとした蒼に大きな手のひらで「そのままで構わない」と促した。
蒼に見せた大きな手のひらには、年季の入った硬そうな皮膚とマメが数カ所ある。
触らなくてもその厚さは明らかで、長い年月をかけなければ、出来ないであろう代物だ。
鉄の匂いと手のひらの硬そうな皮膚とマメ、汗もそれなりにかいていたとなれば……。
「その右肩に居る黒い人魂」
蒼は鉄戒の手のひらに気を取られ、黒い人魂がいつの間にか出てきていた事に気づけなかった。
人魂へ体ごと向けて話す鉄戒は目を細めた。
「儂はその方の家臣、いや、友と言うべきか」
「なっ! その話、詳しく!!」
長椅子を独り占めしていた蒼だったが、三度笠と縞合羽を膝に置き、長椅子の端へと座り直した。
長椅子の空いた所を手でタンタンと叩いて、その男に座るよう促した。
話を聞かせてほしいと期待に満ちた目を爛々と輝かせて、尻尾を大きく振っている。
「いや、儂が座ると椅子が壊れてしまうから、地べたに座らしてもらおう」
そう言うと、鉄戒は蒼の正面で地面に胡座をかいた。
大きな左手の上には、大きな体に隠れていた普通のお猪口と平たく大きなお猪口と大きな徳利が乗っていた。
それを地面に置いて、徳利を持って、おちょこへと酒を注いでいく。
どうも初めから蒼と飲み交わすつもりで持っていたようだ。
鉄戒が注ぎ終えると、黒い人魂が蒼の顔を三度回ってきた。
膝の上の三度笠と縞合羽を長椅子へと再び置きなおした。
「どうやら、変わった方がいいみたいだ」
「ん? どうした?」
鉄戒の声を聞きながら、蒼は左手の手のひらを黒い人魂に近づけ、乗ったのを見るとそのまま胸元へと持ってきた。
蒼の言った「変わった方がいい」というのは聞き間違いだろうかと赤鬼が眉間に皺を寄せ、見ている。
「まぁ、見てたらわかるさ。あんま人前ではやらないんだけど、アンタには問題なさそうだしな」
蒼は立ち上がると深呼吸して、目を瞑った。
そして、黒い人魂を胸元へと押し入れたのだった。
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