第六話 黒狼の先祖

 

 あおの体から外にも聞こえる強い鼓動が一拍。
 体の周りに黒い炎をまとい始めた。
 火力は上がっていき、黒い炎で蒼の体が見えなくなった。
 鉄戒てっかいはその炎から顔を手で守りながら、指の間からしばらくの間、その様子を見ていた。
 黒い炎の中の二つの赤い光と目があった。
 それを皮切りに、徐々に黒い炎が消えていった。
 見えてきた姿は変わっていた。
 狼耳おおかみみみと尻尾は変わりないと言えるが、髪型は腰に届く程の癖のある長髪に。
 男性的な体格から女性的な体格に。
 胸にも確かな膨らみがある。
 そでのある濃い灰色の着物とはかまは着付け直され、着崩れることはなさそうだ。
 おまけに、赤い羽織を袖を通さずに肩に掛けている。
 優しさがあった垂れ目は、厳しさのあるつり目になり、青みがかった瞳は赤く輝いている。
 その赤い目が鉄戒を捉えると、長椅子へと座った。
 腕も足も組み、偉そうに踏ん反り返った。

「鉄戒よ、久しいな! おい、何を呆けとる。さっさと酒を寄越せ」
「は、はい!」

 呆気に取られた鉄戒は、我に戻り、偉そうな女性へと渡す。
 女性は受け取ると、お猪口ちょこの酒をくいっと口へと流し込むと、くぅーっ!と歯を食いしばり、尻尾を二度大きく振った。

「5兆年ぶりの酒は美味いのー!! まぁ、そんなに久しい訳でもなければ、味も分からんのじゃがな!!」

 くっくっかっかっかっ!と笑う女性はおちょこを鉄戒へと差し出し、酒を催促した。

「ほ、本当に弓月様でございますか?」

 酒を注ぎながら聞く鉄戒は信じがたそうに額に汗をかく。
 目の前に懐かしの主君、友人がいる訳がない。
 しかも、全盛期の頃の姿そのもので。
 蒼が変化して、騙している可能性もあるからだ。

「なんじゃっ! 我の顔を忘れたか! お前は敬ってくれながらも心を許してくれた数少ない友だと思っておったのにっ! こんな酒飲めるか!!」

 弓月ゆみづきと思しき女性は、注いでもらった酒を鉄戒の顔へとぶちまけ、おちょこを持ったまま、また腕を組んで、そっぽを向いた。
 その憤慨ふんがいする様は子供としか言いようがない。
 バチ悪そうに鉄戒は顔の酒を着物の裾でぬぐった。
 すると、弓月の背中の方から左肩へと昇ってくる青い人魂が見えた。
 鉄戒はその青い人魂ひとだまからさっきまで話していた蒼と同じ妖気を感じ取っていた。
 そして、目の前の女性の妖力も黒い人魂から感じ取っていた同じものを感じている。
 まさか、本当に蒼と弓月が入れ替わったのか……
 はなはだ信じ難いと拭った顔をまた汗で濡らした。

「しかし、あの出来事から幾星霜いくせいそう。ざっと三百年程の月日が流れておりますれば、弓月様とはいえ、魂だけの存在で生きながらえるなど」
「あり得ているであろうが、たわけ! ……そうじゃ、良いことを思い出したぞ」

 イタズラを思い付いた子供のように心から喜び。
 釣り上げた口角は怪しく、笑っていない目を鉄戒へ向けた。
 長椅子から立って、鉄戒の耳元へと口を寄せた。

「お前の大層、大事にしている「刀」。また全部、へし折ってやろう。あの時みたいにな」

 そうささやかれた鉄戒は顔を一気に蒼白そうはくになり、狼狽ろうばいして、後ろへとたじろぎ、土下座をした。
 過去に刷り込まれたトラウマが頭を過ったのだ。
 暴れ狂う弓月が次々と自分が打った刀を壊して行く様を。

「そ、それだけは!! ご、ご勘弁をっ!!」

 鉄戒は、実の所、鍛治師なのである。
 鉄の匂いと年季の入った手の硬いであろう皮膚とマメ。
 昼飯前の鍛治でかいた汗の匂い。
 それらは一重に鍛治師である事を裏付けていた。
 そんな彼は、武器の中でも、特に刀を打つ事を生業としてきた。
 自らの手で打ってきた刀たちは我が子の如く愛していた彼にとって、使われる事なく、目の前で真っ二つに折られ、粉々にされた。
 その挙句、その全てをまとめて燃やし溶かされた出来事は心に大きく深い傷として残っていたのだ。

「我が生きておると信じるか? おまけで、お前のを壊してやるが?」

 土下座する鉄戒を見下す仁王立におうだちの弓月の顔は、極悪非道ごくあくひどうな悪意に満ちた悪人の顔そのもので、尻尾を天を刺すほどに鋭く立たせていた。
 人魂の蒼はご立腹な弓月をなだめるように周りをふよふよと飛び回る。

「し、信じます!! この事を知っておるのはわしと弓月様しかおりません!」

 この弓月という女性。
 今は魂だけの存在となり、蒼の体が無ければ、話もできない。 
 そんな彼女は生前に鬼の手にも負えないほどに暴れん坊だったようで、刀だけに飽き足らず、彼の鍛冶場かじばも壊したこともあるのだった。

「ふん! まだボケていない己を有り難く思うことじゃな。ほれ、わかったら、注ぐがいい」

 弓月が長椅子に座り直すと足を組んで、お猪口を差し出した。
 そこへすかさず、鉄戒が徳利とっくりを持ち、すがるように最後の一滴までしっかりと注いだ。
 弓月は注ぎ終えたお猪口の酒を見てると、顎で指図する。
 鉄戒はそれを察して、酒を注いでいた自分の大きなおちょこをありがたそうに両手でゆっくり持ち上げた。

「お前が呑み喰らいじゃから、我の分が少ないではないか」
「すみません」
「まぁ、ここで酔い潰れる訳にはいかぬから、許してやる」

 お互いのお猪口の端を軽く当てる。
 乾杯。
 二人とも一気に酒を流し込んだ。
 弓月が、かっー!っと酒に焼ける喉の感触を噛み締めた後。
 鉄戒も、かっー!っと声を上げた。
 二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。

「ご無事で何よりです、弓月様」
「お前も息災で何よりじゃ、鉄戒」

 改めて、古い友人との再会をお互いに喜び合った。
 弓月は思わず、尻尾も大きく振ったのであった。
 蒼もその光景を見て、嬉しそうに揺れた。

「では、お茶を淹れて参りますので少々お待ちを」

 弓月からお猪口を受け取り、平たく大きなお猪口へ徳利と一緒に乗せた。
 平たく大きなお猪口を持って立ち上がった鉄戒は茶屋の中へと向かう。
 酒を飲んで酔ってしまうのはお互いに都合が悪く、話をするだけにしても、何もないのは味気ない。
 お茶だけでも手元にあればと鉄戒の心遣いである。

「ああ。白湯さゆでも構わんぞ。お前の淹れる茶は本当に不味いからな」

 弓月は腕組み、足組みして、目を瞑って言った。
 眉間には皺があり、口の中にはその時の味が蘇っているのだろう。

「はっはっ! では、お言葉に甘えて、白湯を淹れて参ります」

 こりゃ、参ったと言わんばかりに大きな右手で頭を撫でながら、鉄戒は茶屋へと入っていく。

「好きにしろ」

 弓月は無愛想にそう送り出すと、長椅子から立ち上がり、崖の手前まで歩を進めた。
 蒼も左肩から同じ景色を眺める。

「やっと本土に出てきた……この機を逃す訳にはいかぬ」

 蒼と弓月が出てきた故郷。
 ただ、弓月にとっては違う。
 あそこは弓月にとっては流刑地るけいちあるいは処刑地しょけいち、そして、墓場となりうる場所だった。
 そうならずに済んだのは、三百年もの間、血を絶やさずに繋ぎ続けた子孫たちのおかげ。
 そして、生まれてきた蒼とその努力の賜物たまものである。
 もうしくじる事は許されない。
 次にあそこへ帰る時は、全てが終わった頃か、あるいは……。

「どうなることやら……」

 腕を組み、思考に耽る弓月だが、それより先は考えを止めた。
 あまりにも遠すぎる。
 その道中でさえ、うまく行くか怪しい旅。
 それ故に目の前の出来事にこそ向き合うべきだ。

「それにしても、良く見える場所じゃ」

 あまりにも見晴らしの良い立地に茶屋が建っている。
 鉄戒がここに茶屋を曽孫ひまごと開いた理由。
 そうでなくとも、曽孫が生まれる前から鍛冶場としてここに立てていたかもしれない理由。
 この場所から弓月の流刑地を眺め、忘れないためだろう。
 でなければ、こんな辺鄙へんぴな所に住もうとは思わないはずだ。
 生活を二の次にする程に想っていてくれたという事か。

「馬鹿な奴じゃ……いや、馬鹿だからこその発想と言えるか」

 白湯を淹れに行った鬼へと悪態をつく。
 この程度で素直に喜ぶ程、子供ではなく、むしろ、放っておけば良いとさえ思っている弓月だが、尻尾を軽く揺らしていた。
 少し口角を上げ、満足そうに鼻を鳴らして、茶屋の長椅子に戻る。
 そんな弓月を見て、蒼も嬉しそうに揺れてから、弓月の左肩へと戻った。
 そこへちょうど鉄戒も茶屋から出てきた。
 お盆を持ち、白湯の入った湯呑みを二個乗っている。
 二人はまた同じところに座った。
 弓月は鉄戒から渡された湯呑みから白湯をすすった。
 鉄戒もまた自分の湯呑みから白湯を啜った。

 ← 前のページ蓮木ましろの書庫 次のページ → 

蓮木ましろのオススメ本



コメント

タイトルとURLをコピーしました