鉄戒はそばに置いたお盆へ湯呑み置き、真剣な眼差しを弓月に向けた。
「弓月様、旅の目的を教えてくだされ。勝手ながら時を経たとて儂は今でも家臣のつもりです。力になりとう御座いまする」
両拳を地面に突き立て、頭を深々と下げた。
三百年程前、二人の関係は主君と家臣。主従関係にあった。
弓月は戦の指揮を執りながらも、自らも戦場を駆けた。
鉄戒は鍛治師として、時にはその巨体と腕力で戦へと弓月と共に出ることもあった。
無礼講で酒を飲み合う事もあれば、弓月の八つ当たりで刀も鍛冶場も壊されたトラウマを植え付けられながらも弓月を慕う極めて少ない家臣でもあったのだ。
「鉄戒よ、面を上げよ」
両拳を突いたまま、鉄戒は顔と上半身を上げた。
揺れる白湯の水面を眺め、弓月もまた顔を上げた。
三百年程前にはなかった白髪と長く白い髭、鍛えられた身体。
身体に関しては衰えもあろうが、前よりも逞しく見える。
それに加えて、弓月を捉える鉄戒の真っ直ぐな視線は前とは変わりない。
あの頃。
弓月を主君として、仕えていたあの頃と同じに見える。
「話せる訳なかろう」
弓月は苦笑いでそう返した。
鉄戒は顔を引きつかせ、また白湯を啜る弓月をみるしかない。
弓月は目を瞑って、白湯の暖かさを感じながら。
「口が硬いのはよくわかっておるが、我がこうして自分の身体がない事をわかっとるお前に話すべき事はないんじゃ。大方、察しもついておるじゃろうし、それが事実だとしても、幸せに暮らすお前を巻き込むわけにはいかない。まぁ、巻き込まれる方が幸せなら構わんが……」
弓月は左目だけを開け、チラッと鉄戒を見た。
しばらくの間、弓月を見ていた鉄戒だが、地面に突き立てた両拳を手元に戻し、顔を逸らした。
その額には汗が流れている。
それを見て、弓月はまた目を瞑った。
似ている。
そう上っ面だけ。
その内心を試した弓月は、「やはり」と口から出かけた言葉を白湯と一緒に飲み込んだ。
あの頃から時間が経ち過ぎた。
鉄戒に残された時間は少ないといえる、そして、戦に明け暮れる日々よりも曽孫や家族と過ごすべきだ。
「お前と再会できたのは、我を想ってくれていたおかげじゃから、これは聞いておこうかの」
流刑地を三百年程、見守ってくれていた。
友人ともいえる家臣の想いを少しでも晴らすつもりで目を開いて、続けた。
「お前が我のために打ってくれた妖刀。『形無』はどこにある?」
弓月に顔を向き直した鉄戒は、俯いた。
少し苦しそうに確認としても、分かりきっている返答をするしかない自分への責めてもの情けだとわかりながら。
「弓月様が預けられた場所にありまする」
「そうか。わかっておったが、あやつも息災のようじゃな。そうじゃなければ、預ける訳もないが」
空になった湯呑みを置いた。
その『形無』という物は弓月の知り合いに預けられているようである。
打った本人である鉄戒ではなく、より信頼のおける人物の下に。
そして、二人とも掛ける言葉もなければ、取り立てて話す事もなくなった。
椿を待つための世間話すらなく、沈黙が続く。
左肩で大人しく話を聞いていた蒼が弓月の頭の周りを何度か回った。
なにやら、伝えたいようだが、はて?
「そうじゃ! 村へと向かうためにお前の曽孫に案内させてもらうが良いかの?」
弓月は手をついて、蒼が椿と約束していた事を思い出した。
その曽祖父である鉄戒に了承はいるだろう。
茶屋の中で椿が話している可能性もあったが。
「はい! それぐらいのお役には立ちとうございます!」
暗い顔をしていた鉄戒はあっけらかんと大声で答えた。
「ありがとう。持つべきものは家臣……いや、友じゃな」
その温度差と大声に目を丸くした弓月だが、優しく笑いかけた。
生前の弓月から優しい微笑みなど、見た事のなかった鉄戒は呆気に取られ、しばらく、弓月の顔を眺めていた。
「なんじゃ。我の顔に何かついとるか」
「いや、弓月様がそんなお優しい言葉を。しかも、微笑みながら言われるとは……驚きまし、ぶはぁっ!!」
座っていたはずの弓月が一瞬にして、胡座をかいていた鉄戒の顔面にドロップキックをかました。
突然のことで左肩の蒼も置いてきぼりになったのであった。
「忘れろ!! 今すぐ忘れろ!! このたわけ!!」
倒れ込んだ鉄戒の太い首を両手で鷲掴み、その両肩を弓月の両足が乗り、身動きを取れなくした。
弓月の両手は太い首に食い込み、鉄戒も両肘から先の腕で裏拳でもって地面を叩くギブアップアピール。
一瞬にして、ドロップキックを可憐に決め、ダウンに持ち込み、首の締め上げによるノックアウト寸前。
徐々に腕の動きも鈍くなり、今や手首のスナップでのギブアップアピールが命綱だが、顔を赤くした弓月は恥ずかしさ故に、鉄戒のギブアップを見逃し、人魂の蒼が弓月の手を鉄戒の首から離さようにくっついてもなおプロレスは続く!
と思いきや。
「蒼さん、遅くなってすみません。そろそろ案内を……ってなにやってるんですかっ!!?」
椿の慌てふためく声にハッと我に戻った弓月はゆっくり手を離した。
鉄戒も意識が飛ぶ寸前で咳き込みながらも息を吹き返し、馬乗りになっている弓月を揺らすほどに深呼吸した。
「すまん、締め殺す所であった」
「い、いえ。お気に……なさらず……」
血色の良かった顔が白く、生き死にの瀬戸際だった事を物語っている。
流石の弓月も鉄戒の上から退いて、心配そうに覗き込んだ。
「ひいじい、大丈夫!?」
椿が駆け寄って、冷や汗をかいている額を手ぬぐいで拭った。
蒼も鉄戒が心配のようで様子を伺っている。
「あぁ、大丈夫だ……儂が出過ぎた事を……言ったせいだから気にするな」
息絶え絶えであるが、なんとか意思疎通ができる。
鉄戒はまだ黄泉の国に旅立たずに済んだようだ。
「で、でも! こんな事するなんて! ひどいじゃないですか!? 蒼さ……ん?」
声を荒げる椿だが、馬乗りになっていたのは蒼だと思い込んでいたが、別人である事に気づいて、声に覇気がなくなっていった。
弓月の顔や身体を見て、キョロキョロと見回して、蒼の姿を探すが見当たらない。
無理もない。
目の色、髪も長くなっていて、ましてや、男にはない胸の膨らみまであるとなれば、見間違いとも思えない。
そこにいるのは、蒼に良く似た女性。
つまり、別人なわけで。
「あぁ、紹介しよう。倒れたままで失礼して……こちらが儂の友であり、主君であった弓月様。そして、左肩に乗っている青い人魂が御子孫殿だ。弓月様、この子儂の曽孫の椿です」
まだ起き上がれない鉄戒が手を差し出して、紹介した。
椿は弓月と青い人魂となっている蒼をしっかりと見据えた。
「知っとる。よろしく頼む。あと、鉄戒よ、こやつは蒼じゃ。名乗らない奴で、すまんの」
弓月は左肩の青い人魂にデコピンをかまそうとしたが、避けられた。
椿は弓月へと控えめにお辞儀をした。
「え、それが蒼さん? え?」と呟きながら椿がじっと怪訝そうに目を凝らして、青い人魂を見た。
人魂の光が一瞬、強くなり、すごいだろうと自慢しているようだ。
「いや〜、こちらこそ……名乗りませんで」
鉄戒は横になったまま、頭をかいた。
椿は、弓月と人魂の蒼を交互に見ては、目を擦り、もう一度見直してから。
「えぇぇーー!!!!!」
三人にお構いなしに椿は大声で叫んだ。
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