第二話 ご用心

 椿つばきの嫌な予感など知らずに、亭主ていしゅは話し始めた。

「ここから東北東の飛駕山ひがやまで何者かにおそわれるという物騒ぶっそうな事が絶えません。そのせいで山道を使っていた人々は迂回うかいしており、近隣きんりんの宿屋の客が減っているのです。何とか出来ませぬか?」

 それを聞いたあおは少し考え込み、椿は重くなったように感じる頭を両手で支えた。

「それはかなり深刻なのか?」
「はい。客足が減れば、宿を続けられるかも怪しく……」
「それは困るな……わかった、何とかしてみよう」

 腕を組んだままに黒い尻尾しっぽを叩きつけた。
 黒い狼耳に袖のない着物は濃い灰色のはかまと同じ色だ。
 黒狼妖怪くろおおかみようかいであるあおは亭主に呑気のんきにも安請やすうけ合いをしてしまった。
 
「ちょっと、蒼さん!」
「どうした?」
「弓月さんに相談なく、安請け合いなんてしたらまた怒られますよ!」

 そんな蒼にくってかかった女性。
 額には赤みがかった折れた角がある。
 肩ほどまでに伸びた赤い髪に赤い目。
 紫色の着物に黒い袴を履いている赤鬼あかおに半妖はんようである女性は椿つばきである。

「弓月はもう寝てる。それに宿が無くなれば、俺たちも困る。相談したとしても、返事は同じのはずだ」
「でしょうけど〜!」
「いやいや、何もタダで頼んでいるのではございません。もし、解決して頂けたのなら、またしばらく宿を無料で泊まってくださって結構です」
 
 二人のやり取りから亭主も提案を一つ出してきた。

「じゃあ、旅に必要な食べ物も分けてもらえるのか?」
「その宿の食料の数にもよりますが、それもお付けしましょう」
「これならどうだ?」
「う〜ん、いいんじゃないですかね」
「なら、決まりだ。亭主、この件任せてくれ」
「ありがとうございます。飛駕山ひがやまを越えた宿にも伝えておきますので、解決した際にはお申し付けくださいませ」
「わかった」

 蒼の返事を聞いて、亭主は大部屋を後にした。
 
「はぁ〜、問題事は起きない気がするって弓月さんに言ったのに……なんて言えば〜」

 快諾かいだくした蒼に対して、椿は頭をかかえた。

「さてと、これにも妖力を込めるとしよう」
 
 蒼は白い勾玉を胸元から出して、首にかけたままに握って静かに妖力を込め始めた。
 季喬ききょうから貰い受けた白い勾玉。
 これのおかげで弓月の仮の身体を生み出すことができる。

「はぁ、気にしすぎても仕方ないですね」

 椿は気を取り直して、身着を改めた。
 いつもなら蒼に憑依ひょういした弓月と共になるが、京を出てからの宿からは蒼が共に寝ることになっていた。

(まだ少し慣れないけど、大丈夫!)

 憑依しない理由として、仮の姿に慣れるためと弓月は言っていた。
 椿としては異性と共に寝ることに……。
 いや、蒼と共に寝るということに気が気でないが、歩き疲れた体はことごとく睡魔に身をゆだねるのだった。
 二人は荷物のそばで眠りについた。
 そして、陽の光がぼんやりと照らし始める頃。

「二人とも起きろ、宿を出るぞ」

 季喬の勾玉のおかげで仮の姿をした弓月ゆみづき
 その容姿は蒼の体に憑依した姿と全く同じであった。
 黒い狼耳、黒い尻尾。
 女性的な曲線のある体を濃い灰色の着物と袴を身に纏っている。
 腕を通さずに赤い着物を被せている。
 蒼と椿は荷を改めてから、三人で大部屋を出た。
 
「亭主よ、世話になったな」
「いえいえ。こちら、次の宿までの食料です。飛駕山の件、申し訳ございませんが、よろしくお願い致します」

 亭主が弓月へと食料を手渡し、深々と頭を下げできた。
 弓月は受けっとってから、一拍を置いて頷いた。
 
「……うむ、任せておけ」

 弓月が先頭で宿を出て行く。

(弓月さん、怒ってないかなぁ)

 何も考えてなさそうな蒼の後に椿も宿を出た。

「椿」
「は、はい!」
(やっぱり、怒ってるぅ〜)

 椿が目を固く瞑って、動かずにいると。

「何をしとる、先導せんどうせんか」
「え、あ、はい。え? あれ?」
「どうした? もしや、地図を無くしたか?」
「いえ、それはあるんですけど……」
「なら、早くせんか」
「えっと、さっきの飛駕山の話はどうしますか?」

 聞こえていなかったとは思いつつ、弓月の意見も聞きたかった椿はおずおずと尋ねた。
 弓月は少しため息をこぼしてから、腕を組んだ。
 
「亭主が言っていた話か。大方、蒼が安請け合いしたんじゃろ?」
「ちゃんと事情も聞いたし、無事に片がついた時の礼の話もしたぞ」

 名を上げられた本人はさも安請け合いはしていないと言わんばかりの顔である。
 
「左様か。なら、その飛駕山へと向かう道すがらに話を聞くとしよう」
「わかりました。えっと、怒ってないですか?」
「なに、旅に問題は付きもんじゃ。こんなことで怒っていてはくたびれてしまうわ。気にせんで良いぞ」
「良かった。じゃあ、蒼さん」
「ん?」
「弓月さんへの飛駕山の説明、よろしくお願いしますね」
「え?」
「なんじゃ? 蒼が話をつけたんじゃろう? 話せるな?」
「は、はい」
「あと、これも仕舞しまっておけ」

 亭主に持たされた食べ物を弓月から受けとり、すぐに蒼は自分の荷物の中へと仕舞った。
 蝦夷へ行くついでに飛駕山で起きている出来事の解決へと向かうことになった三人。
 先頭に椿、二番手に弓月、三番手に蒼。
 蒼は説明のために弓月の近くを歩いている。
 ただ、説明というには短すぎるもので。

「たったそれだけで引き受けたのか?」
「それだけって、宿を続けてもらわないとこっちは困るし、解決すれば、宿がタダで泊まれるなら良いだろ?」
「そういうことではない。たった飛駕山で何者かに襲われているというだけで引き受けたのかと言っておるんじゃ!」

 弓月は足を止めて、蒼に向き直って大口を開けた。
 椿も話を聞きながら歩いていたので立ち止まった。
 
「我とお前が居れば、大抵はなんとかなるじゃろう。じゃが、我らに為せることでなかったなら、誰かを頼らねばならんのだぞ? それを深く考えずに安請け合いしおって」
「それもそうだが……あと、旅の食料も分けてくれるって」
「はぁ、礼の方は良いにしてもじゃなっ! ……もうよい、次の宿や人に尋ねてみるとしよう。事情を知らねば、やりようがないからな」
「でも、弓月さん」

 椿が辺りを見回して、呼びかける声に不安さえも聴き取れた。
 
「そうじゃな、こうも我らだけというのは騒ぎが起きているというのは間違いなさそうじゃ」
「……後ろも誰も来てないみたいだ」

 歩き始めて数十分ほどで誰一人としてすれ違わない。
 しかも、飛駕山へと向かう人も見受けられなかった。

(飛駕山と言えば、奴が居ったはずじゃが……)

 弓月はある妖怪の事を思い出していたが、無事ともわからない。
 宛にするべきではないと思い、口には出さなかった。

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