洞穴を入って来た方でない所から出て来た二人と一匹は若藻に見つからないようにしていた。
――まず、浜太郎には囮になってもらうにゃ。
そう言われた浜太郎は不服であったが、至極適任だとも思った。
懐に入れた棒切れをちらりと見やった。
(こんな物を懐に入れる事になろうとは……しかし、恩を返すためとなれば、これこそ武士道と言えよう!)
浜太郎は佐々丸を背に森の中を一人で立っていた。
まさしく囮のために一人なのだが、遠くから蒼が見張るように隠れ潜んでいる。
――蒼殿には、吾輩を懐に入れ、浜太郎殿を見張るんですにゃ。出来るだけ遠くからでお願いしますにゃ。
「このくらいの距離なら大丈夫か?」
「大丈夫ですにゃ。浜太郎が持っているのは吾輩にとっても危ない物ですからにゃ」
「あんなので本当に誘き出せるのか? 俺はなんともなかったのに」
「猫だからこそにゃ。しかも、あれは若藻様にとってはにゃくても良いかもしれにゃい」
「それなら、なんで?」
「より誘き寄せやすくするためにゃ。それよりもしっかりと見張ってくださいにゃ」
「ああ、任せてくれ。早く解決して、昼ごはんを食べに帰りたいからな」
「そこは人のためとかではにゃいのにゃ?」
「解決出来れば、人のためになるから問題ない。感謝も嬉しいが、今の俺からすれば食べ物の方が……」
「来たにゃ」
蒼と空太が見張っていると、浜太郎の近くの土が蠢いた。
浜太郎もそれに気づいてか、辺りを見回している。
――浜太郎は土に何かあれば、蒼殿の方へ走ってくるにゃ。逃げ道の土は吾輩が操る故、心配にゃいにゃ。
「どわぁー! 蒼殿! 来ましたぞ!」
浜太郎は作戦通りに蒼と空太の方へと走り始めた。
それを見て、空太を懐に入れている蒼も走り始める。
――蒼殿は追いつかれぬように先を走りながら、辺りを見てほしいにゃ。良ければ先に若藻様を見つけてほしいにゃ。そして――
「若藻様は土で獲物を疲れさせてから、逃げた方へと先回りするにゃ。それをこっちは利用して、蒼殿と弓月様で相手をするにゃ」
『思っていたよりも早く、見つけられたな』
「どこにいる?」
弓月は人魂の姿で現れ、いつでも戦えるように備える。
蒼は辺りの気配を探る。
木々の隙間から覗く景色、土から香ってくる若藻の匂い、少しずつ近づいて来ているだろう音から。
「後ろか!」
蒼が振り返ると、蒼と浜太郎の間に若藻が姿を現した。
若藻の姿は洞穴に入る前と変わらない。
様子が違う所を言えば、浜太郎以外は目に入っていないように思える事だ。
「今が好機ですにゃ! 蒼殿の奇襲で先手を取れば!」
「いや、これは浜太郎の戦いだ。俺は浜太郎が戦いやすいようにしてやるだけ」
「何を今更、言ってるにゃ! 弱らせれば、確実にゃ!」
『彼奴のお願いとやらを叶えてやるのか?』
蒼は若藻と浜太郎を見たままに頷く。
――あの化け猫、若藻と一騎打ちをさせて頂けないでござるか?
――やれるのか?
――わからんでござるが……ここで負けっぱなし、逃げっぱなしでは拙者は強くなれないと思うでござる。これまでの稽古の全てをぶつけて、事を納めてみせるでござるよ。
そう言っていた浜太郎を信じて、蒼は浜太郎の援護に徹することにした。
空太は不満げであったが、弓月は何も言わずに人魂の姿で浜太郎を見守ることにしたのだった。
・――・――・
(蒼殿、恩に着るでござるよ。絶好の好機、ここで事を納めてみせる)
浜太郎は走っていた足を止め、ゆっくりと大太刀を抜いた。
邪魔になるといけないので鞘はできるだけ遠くへと放り投げた。
大太刀の刃を地面に向ける構えである下段を構えて、若藻と対峙する。
――ここで負けっぱなし、逃げっぱなしでは拙者は強くなれないと思うでござる。これまでの稽古の全てをぶつけて。
自分が蒼へと言った言葉を思い出していた。
一度ならず何度も死に目を見せられた相手との対峙。
身体が震えない訳がない。
――修業した意味がないだろ?
――お前は何の為に稽古を受けとる!
「生きる為でござる」
蒼と師範に言われた言葉に返事をした。
身体の震えは止まり、手の震えも止まり、深く静かに呼吸する。
浜太郎の眼にもう恐怖はなく、一瞬たりとも相手の挙動を見逃さないために見開いていた。
「ミャア〜」
若藻が鳴くと、土が浜太郎へと矢のように降り注ぐ。
だが、その土矢は浜太郎には届かない。
浜太郎に近づこうとすれば、順に切り裂かれ、ただの土へと戻っていった。
浜太郎は若藻の少し後方にいる蒼を見た。
目が合えば、蒼は頷いた。
「かたじけない」
呟くと再び、若藻を見た。
土の攻撃は、蒼が防いでくれる。
足元も空太がいるおかげで不意に身動きが取れなくなる事はない。
となれば、若藻という化け猫を倒すことに注力すれば良い。
浜太郎は集中力を高め、若藻に遅れを取らない為に自分の身体や大太刀捌きに意識を向ける。
「行くぞ、佐々丸」
呟き、力強く握り込んだ。
すると、佐々丸は鍔から切先まで真っ白になった。
浜太郎はそれに気づくことなく、息を入れてから下段の構えのままに駆け出した。
若藻も走り出し、お互いが攻勢に出た形になった。
お互いの間合いに入ると、若藻は左前足を振り上げた。
浜太郎は刀を逆刃に持ち直し、後手に回った事で左前足の攻撃を防ぐ。
「ミャ」
若藻が短く鳴いた。
佐々丸に防がれた左前足に強烈な痛みが走ったからだ。
若藻の攻撃が軽かったこともあり、防いだ力の流れのままに自身の足を捌いて、一回転。
回転の最中に刃を相手側に戻して左薙の回転切り。
「ふん!!」
予備動作が多く、容易に避けられた。
図体は浜太郎よりも大きいが、身のこなしは猫ならではと言わざるおえない。
対して、浜太郎の大太刀は大きく重量もある。
大きさは申し分ないのだが、小回りの効く相手にはかなり不利である。
「フシャァ〜!!」
攻撃は当たらなかったが、防いだ時の痛みに対しての怒りだろう。
若藻は胴の毛を逆立て、三本の尻尾は大きく膨らんでいる。
「やはり、当たらんでござるか……」
下段の構えになり、息を整える。
今度は左側の下段、大太刀を逆刃持ちしている。
怒りを見せられようとも臆する浜太郎はもうすでにいない。
どう生きるか、どう倒すかに意識が向き、雑多な情報は攻防の道筋でしかない。
(こちらから仕掛ける!)
息を入れてまた踏み込む。
若藻は怒りのあまり、間合いに入って来た浜太郎に両前足で攻撃を繰り出す。
もちろん、鋭い爪も出ている。
ただ、これも浜太郎には届かない。
いや、当たらなかったと言うべきである。
若藻の間合いに入った瞬間、後ろに飛び避けたのだ。
少し爪が当たりそうになったものの、避けきった。
「はっ!!」
避けきった後にまた前へと踏み込む。
逆左袈裟斬りで若藻の顎へ回転切りを当てた。
「ミ!」
若藻はまた短い鳴き声をあげて、たじろいだ。
「このまま、終わらせる」
回転切りの勢いを殺さずに、回転し切るとまた若藻へと踏み込んだ。
ただ、若藻の見かけは伊達ではなかった。
たじろぎはすぐに立て直して、再び間合に入って来た浜太郎へ右前足を繰り出した。
今度はもう後ろへ避ける事はできない程に勢いがついている浜太郎はまともに若藻の攻撃が当たる。
「ミャ!」
だが、声を上げたのはまたも若藻の方であった。
「その攻撃を待っていたでござるよ」
また左下段に構えていた浜太郎は、佐々丸で若藻の攻撃を捌いていた。
「柳流 返り身の太刀」
佐々丸に右前足を左から叩かれる痛みと触れたことによる痛烈な痛みで若藻は鳴き声をあげたのだ。
若藻が顔を顰めて痛みに耐えている間に、浜太郎は回転切りの足捌きをした。
その間に逆刃持ちから改める。
若藻の胴体、右脇腹辺りで強く踏み込んだ。
「柳流 大車輪斬り!」
佐々丸を取りこぼさないように強く握り込み、若藻へと斬り込んだ。
佐々丸の刀身が若藻の身体にあたる刹那、透明になった。
刀身が身体に入っていくにつれて、透明になっていった。
若藻の身体から出てくると、刀身は透明でなくなっていた。
白い刀身に黒いモヤのようなものが纏わりついている。
黒いモヤは刀身の白さのおかげか、徐々に消えていった。
「やったでござる……しかし」
斬られた若藻が力無くぐったりと倒れていた。
佐々丸が斬ったであろう箇所に斬り傷はない。
血が出ているわけでもない。
殺した訳ではないようだが。
「もし、生きておるか?」
反応が無いことに怖さを感じた浜太郎は若藻へと話しかけた。
それでも反応はない。
そろりそろりと若藻に近づいたら、若藻がすっと上体を上げて大きな舌で浜太郎を舐めた。
『若藻を助けてくれてありがとみゃ! おかげで身体が楽になったみゃ!』
「そ、それは良かったでござる」
浜太郎は身体中がべったりして、げんなりとした顔をしていた。
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