第十七話 褌一丁

 武士ぶしをおぶったあお弓月ゆみづきは、全力で土から逃げ始めた。
 土がまるで波のようにうねりをあげて、迫ってきている。

じかで見ると圧巻あっかんだな」
「たわけ! 後ろを見る余裕があるなら早く走れ!」

 弓月の叱咤しったを受けて、蒼はより足へと意識を向ける。
 少しぬかる足場でも速度が落ちる事なく、走り出しよりも速く走り、上り坂へと差し掛かった。
 
「土はわれが引き受ける! 目の前に来ても速度を落とすな!」

 弓月も蒼に遅れる事なく、ついてきている。
 弓月が形無を刀の形に変えたのは、土の相手をするためだ。
 右手に形無を持ち、警戒をつよめている。
 二人の走る速さに後ろの土は遅れをとっているようだが、ここは山である。
 土なら文字通り山ほどある。
 しかも、昨日の夕刻のように若藻にゃもの妖気は山全体の土に含まれている。
 場所を知られてしまえば……

「蒼、下じゃ!」
「っ!!」

 蒼が踏み出した右足の足場。
 その土が口を開けたかのように右足を飲み込もうとしている。

(間に合えっ!)

 『隼』の応用で空気の足場を作ろうとするが、唐突な事で遅れてしまった。
 これでは足が土に飲まれる方が早い。

「しっ!」
風気ふうき 鎌燕かまつばめ

 弓月が刀をいだ。
 薙いだ事で『鎌燕』を生み出した。
 蒼の足が飲み込まれる前に土をせた。
 地面から切り離された土はただの土へと戻り、蒼は土に捉えられなかった。
 強く踏み出した右足で前へと走り抜けた。
 弓月を置いて行ってしまい、蒼は後ろを振り向いた。

「弓月」
「たわけ! 我に構うな!」
「……っ!」

 後ろの弓月からの声を聞き終える前に向き直った。
 蒼の前に大波のような土の壁が現れていた。
 勢いに乗っているせいで止まる事ができない。
 背負っている武士を支えるので両手が塞がっている。
 蒼には土の壁をどうにかすることもできない。

「やってくれる」
炎風気えんふうき 炎鳥えんちょう

 弓月の踏み出した足元に豪炎ごうえんほとばしった。
 その足が地面を踏み抜くと、刹那的せつなてきな速度で蒼に追いついた。
 走ったであろう軌跡きせきには炎が示している。

「そのまま走れ」

 追い抜いていく弓月に蒼は頷く事もできない速度。
 蒼は前を見る目を閉じる事なく、弓月の後につづく。
 弓月は勢いのままに刀を構えた。

炎風気えんふうき 十文字斬り』

 迫り来る大波のような土砂に炎をまとった風が十文字に切りはらわれる。
 切り開かれた合間をうように弓月と蒼は走り抜けた。

「このまま、山を降りるぞ!」
「ああ!」
「なんじゃ、鳥居が……」
「?」

 土に追われながらに前を見ると鳥居の内側が周りの景色が違って見えた。
 蒼は鳥居の内側の景色を昨日見たのを思い出した。
 その景色には椿つばきの言っていた久家神社ひさけじんじゃ緑青色ろくしょういろの屋根が見えたからだ。

更子さらこが鳥居をつなげてくれたみたいだ!」
「よう見ておるではないか。走り抜けるぞ!」
 
 敵の出方が分かれば、二人には十分であった。
 足元から土が迫れば、蒼は足を使って『鎌燕』を生み出して切り伏せる。
 前や横からくれば、弓月が刀と妖術を駆使して、対応し切る。
 
「飛び込め!」

 二人は後ろから迫ってくる土をかえりみることなく、鳥居の内側へと飛び込んだ。
 二人の視界が一瞬、白んだかと思えば、すぐさまに景色が変わった。

 ずしゃりずしゃり、ざざざ。

 と三つの音が久枝神社の境内で鳴った。
 弓月と蒼がなんとか着地した音。
 鳥居からあふれるように出てきた土の音である。
 しつこい程に追いかけてきた土であったが、飛駕山から離れれば、動きはしないようだ。

「なんとか逃げ切れた」
「お二人ともご無事ですか? ……とその方は?」

 弓月と蒼の姿を見て、更子が駆け寄ってきた。
 
「蒼が其奴そやつを拾わなければ、こうはならんかったじゃろうがな」
「仕方ないだろ。ほっとけば、のたれ死んでたんだ」
「全く、お人好しめ」
「そんなことよりも早く怪我を治してあげないと! 蒼さん、下ろしてください」

 椿もそばに居たようで、蒼の背にいた武士の様子を診ていた。
 蒼が頷いて、腰を下ろした。
 椿が武士の背に回り、両脇に両手を添えた。
 椿は自慢していない腕力で侍の上半身を支え、蒼は武士の足に回していた腕をゆっくりと離した。
 武士の足を軽く引きずり、蒼から離すと椿はゆっくりと武士を地べたに寝ころばせた。

「打撲がひどいですから、ある程度は治しちゃいますね!」

 椿は武士の胸元に手を添えると、治癒ちゆの妖術を使い出した。
 それだけでほんの少しだけ武士のゆがんでいた顔が楽になったように見えた。
 蒼も武士の様子を見るためにしゃがんでいる。
 三人の様子を見る弓月に更子が歩み寄っていた。

「椿様はあのようなことができるのですね」
「本人には言わぬが、かなりの逸材いつざいじゃ。黙っておれよ」
「もちろんでございます。して、あの方は武士でございますね。あの人ったら、武蔵国にまで行っているのかしら」
「差し詰め、武士共に助けをうたんじゃろう。我からすれば、目の上のたんこぶじゃ。良いように事が運べば良いのじゃが」
「私は修行僧しゅぎょうそうを呼んできます。巫女にも寝床の準備などをさせますね」
「よろしく頼む」

 更子は社務所しゃむしょの方へ、弓月は蒼へと歩み寄った。
 弓月が近づいてきたので蒼も立ち上がった。

「ちと、妖力を使い過ぎたようじゃ」
「妖術も使ってたしな」
「じゃから、我は休む事にする。そこの武士が目を覚まして話ができそうなら起こしてくれ」

 そう言いながらに形無かたなしを蒼に手渡した。
 弓月の姿が足元から徐々に消えゆく中。

「勾玉に妖力を込めるのを忘れずにの」

 そう言い残して、人魂になって、蒼の胸元へと消えていった。
 蒼は胸元に手を当てた。
 もう寝てしまったかのように静かなものである。

「やっぱり、弓月はすごかったな。俺も強くならないとな」

 胸元から離した手を開いて、眺めてから握り込んだ。
 弓月のように属性を合わせた妖術はできない。
 一つの妖術をきわめきれてもいない。
 蒼にはまだ伸びしろがある。
 だが、目標が近いだけにもどかしく遠く感じるのだ。
 そして、形無を鞘帯さやおびへと戻した。

「あの方を運んでください。椿様、処置は社務所でお願いいたします」
「分かりました」

 椿が治癒の妖術をやめると、二人の修行僧が武士に駆け寄った。
 一人がおぶり、もう一人は補助でそばについた。
 武士が運ばれて行くのを後から椿も追いかけていく。
 治癒が完全に終わっていないこともあり、気が気ではないのだろう。

「弓月様はお休みになられたので?」
「ああ、武士が話せるようになったら起こしてくれって」
「かしこまりました。あの方が良くなる事に最善を尽くしましょう」
「そうだな」

 更子は社務所へと向かい、蒼は飛駕山ひがやまを見上げた。
 山の一部が騒がしく、まだ土がうごめいているのが見てとれた。

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